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「待てっ!」
ディーに抑えられたまま、叫んだ男は二体の戦闘型ドールに向かって命じた。
「追って捕まえろ!」
しかし、何故かドールは動かない。
リックの姿が完全に消えたのを見て、ディーはあっさりと男から離れた。
「貴様!」
すぐに体勢を直し、男はディーに掴みかかる。
ディーは動じず、微笑みすら浮かべて言った。
「彼は何も知らない。貴方たちの知りたいこと――『女神』のことは私が知っている」
その言葉に男の顔色が変わった。
「お前……」
その反応にディーは満足し、笑みを深くした。
「貴方たちは、いや、貴方たちのトップはそれが知りたいんでしょう? 連れて行くといい。抵抗はしません」
男は歯噛みし、ディーから手を離した。そして、睨み付けながら苦々しく言った。
「――いいだろう。望み通り、連れて行ってやる」
ディーは軽く肩を竦めて思った。
(負け惜しみにしか聞こえませんね)
男はドールにディーを捕らえるように命じた。
ドールはその命令にはすぐに従い、ディーの両横に付き、逃がさぬよう銃口をその背に向けた。
「歩け」
男に言われるまま、ディーは歩き出した。
しばらくして、エレベーターに乗って屋上に出ると、そこは飛行場だった。
飛行場には何台かの飛行艇があり、その内の一台がすでに発進準備に入っていた。
それに気付き、ディーはわずかに唇を噛んだ。
(まずい。移動するのか)
ディーの知る研究は世界を左右する価値があった。それゆえ、その研究を狙う者は後が絶たなかった。中でも、一番執拗なのが、ここの組織だった。
狙ってくる輩を始末しても限りがない。研究を欲するトップを潰さなくては意味がないのだ。
だから、ディーは自らを囮にした――一気に決着を付けるために。
ディーが組織のトップの所まで行った時、彼の相棒がすべてを始末するため来る予定だった。だが、移動するということはここにはトップがいないということだ。
相棒はすでに動いている。だから、ディーはリックを逃がしたのだ。
(このままだと、間に合わない)
ディーは自分にぴったりと張り付いているスーツの男と二体のドールをちらりと見やった。
(どうしようか……)
ここで騒ぎを起こして逃げることは出来る。だが、そうすると、今後、トップに近付くことは難しくなるだろう。
「乗れ」
男の命令が届く。
(どうする? 大人しく従うか?)
「おい!」
動こうとしないディーに苛立ち、男が声を荒げた瞬間。
銃声が三回続けて轟き、男と二体のドールが倒れる。
同時に、ディーは満面の笑みを浮かべて振り返った。
「ディース!」
そこには大型銃を持った白髪の男が立っていた。
「来てくれたんですね!」
嬉しそうに駆け寄るディーを男は睨み付け、不機嫌そのものの低い声で言った。
「お前、こんな所で何をしてやがる?」
「何って」
ディーは軽く肩を竦めて答えた。
「見ての通り、連れ去られるところをディースに助けてもらって喜んでます」
スコープの内側で男は眼を細め、苛立たしげにディーを見下ろす。
「そういうことを聞いてんじゃねぇよ。何だって」
「計画は失敗です。一度、退いて練り直す必要ができました」
ディーの言葉に男の表情が変わった。
「黒幕がここにいねぇからか」
「それもありますが」
ディーが続けようとした時だった。
不意に届いた物音に反応し、男は振り向きながら銃を構えた。
「あ、は、はは……」
そこに立っていたのは両手を上げたリックだった。
「リック! 良かった、無事」
笑顔を浮かべて声をかけたディーの顔が一瞬にして固まる。そして、続きをゆっくりと呟いた。
「――でも、ありません、ね……」
現れたリックの後ろに戦闘服を着込んだ男が銃を突きつけながら立っていた。
ディースは軽く舌打ちする。
「まだ生き残りがいやがったか……」
屋上に来る途中、彼は破壊活動に勤しみながら、応戦し邪魔する者をことごとく排除して来たのだ。
『やる時は徹底的にやる』――それが彼の信条だった。
「おい、そこの男、銃を下に置け」
自分の優位を信じて疑わない男の態度にディースはかすかに眉をひそめた。
その瞬間、ディーはディースの腕を掴んだ。そして、真剣な顔で見上げ、小さく首を横に振った。
「駄目、駄目です。彼は本当にそうなんです。だから……見捨てるなんてことは、出来ない」
ディースは無言でディーを見つめ、そして溜め息を吐くと同時に銃を放り投げた。
「ディース……」
「――計画続行だ。こうなったら多少手荒くてもケリ着けようじゃねぇか」
その言葉にディーは苦笑を浮かべた。
(すでに多少で済む状況ではないと思うんですけどね)
ディーは状況が最悪でも笑う余裕のある自分に少しだけ嬉しさを感じた。
■ ■ ■
「すべての武器と通信機器を奪われて、両手足には電子ロック式の拘束錠――これを絶対絶命、四面楚歌っていうんですよね」
「ごめん!!」
淡々とした物言いにリックは思わず謝った。
しかし、ディーは穏やかに笑って否定した。
「貴方を責めて言ったんじゃありませんよ」
そう言うと、ディーは目を閉じて隣に座るディースを見上げ、微笑む。
「状況の確認と、叱咤激励です。ね?」
「でも、俺のせいで――」
「分かってんなら、それ以上クダクダ言うな」
不意に低い声音で言われてリックは思わず口を閉ざした。そして、恐る恐るディースを見た。
今、彼の顔は隠されていない。彼が着けていたスコープも奪われたのである。
最初に思ったとおり、ディースは若かった。男らしく精悍な顔立ちには焦りも苛立ちも見えない。しかし、それが逆に威圧感を漂わしている。
「ディース、いじめちゃ駄目です。巻き込んだのは私たちの方なんですから」
ディーに咎められ、ディースは固く閉じていた双眸を薄く開いて横目で隣の青年を見た。
「!」
その双眸にリックは言葉を失う。
ディースの瞳はルビーのように赤かった。
(白髪に赤い瞳……この人、一体!?)
「巻き込んだのはお前だろうが」
皮肉げに言い返され、ディーは言葉に詰まり、そして素直に謝った。
「……ごめんなさい」
それを見てディースは再び眼を閉じた。
「――ディー、……あ、の……」
リックの呼びかけにディーは首を巡らして振り返った。
「何?」
ディースのことを聞きたいのだが、本人の前で訊くのも憚れ、リックはしどろもどろになる。
「いや、あの。その……」
それを察したのかディーが微笑みを浮かべて言った。
「ディースはね、腕利きの傭兵なんです。だから、大丈夫ですよ」
「あ、うん」
(でも、この状況で大丈夫って言われてもなあ……)
そう思い、リックは自分たちが置かれている状況を改めて確認した。
ディーの言ったとおり、両手足は強固に拘束されている。扱いも前に比べて格段に落ちている。今、リックたちは空き倉庫らしい所に監禁されていた。
(俺、生きて帰れんのかな?)
リックが真剣に思い悩んでいると、不意に分厚い扉が開き、薄暗かった視界に光が差し込む。
「!」
外から現れたのはリックたちをここに連れて来た男だった。その後ろには銃を持った三体の戦闘型ドールが従っている。
男はリックたち三人の顔を確かめるように見やり、わずかに顔をしかめて言った。
「『女神』の情報を持ってるのはどいつだ?」
(女神? それが、祖父さんの研究なのか?)
リックの横の二人が一瞬鋭く視線を交わす。
そして、ディーが穏やかに返事をした。
「私です」
男はディーを一瞥した。
「……ボスがお呼びだ」
「そうですか」
ディーは臆した様子もなく微笑み、両手の拘束錠を上げた。
「では、これ、外していただけませんか?」
男は厳しい顔で見つめる。
「嫌ですねぇ、私一人で逃げられると考えているんですか? 自慢じゃありませんけど、私、荒事は専門外なんですよ。外しても逃げるような真似はしませんよ」
ディーの言葉を受け、男はしばらく考えた後、軽く右手を上げた。すると、後ろに控えていたドールが銃口を傾け、こちらに向けた。そして、男は懐から細い棒状のキーを取り出し、その先端を押した。
その瞬間、ディーの両手足の拘束錠が開く。
ディーは笑顔で礼を言った。
「ありがとうございます」
自由になったディーは立ち上がり、軽く裾を払い、埃を落とした。
「出ろ」
男が顎をしゃくりながら促した。
男の指示に従い、ディーは部屋を出ようとした。しかし、一歩踏み出した瞬間。
「あ、忘れ物」
そう呟き、ディーが踵を返す。
ディーの不意の行動に男が制止の声を上げようした。しかし、その声が出ることは結局なかった。
ディーは床に座っていたディースの首に両腕を回して、その唇に己のそれを重ねていた。
「っ!?」
(な、な、なななななん!?)
絶句して硬直する周囲を余所に二人は濃厚なキスを交わす。否、しているのはディーの方だけであって、ディースの方は応じてはいない。ただ、わずかに眉をひそめただけだ。だが、抵抗する素振りはない。
自分と同じ顔をしている青年が男にキスしている。その状況にリックは眩暈を感じた。
(冗談だろ、止めてくれ……)
その願いを聞き届けた訳ではなかろうが、ゆっくりとディーはディースから離れた。しかし、彼は再び周囲を混乱させる爆弾発言をにこりと極上の微笑みで言った。
「何があっても私は貴方のものです」
そして、掠めるように再びキスをして、ディーは踵を返した。
「じゃ、行きましょうか」
何事もなかったように言われて、男は奇妙なものを見る目つきでディーとディースと見比べ、そして頷いた。
「来い」
そして、彼らが去って扉が閉まった瞬間、ディースに劇的な変化が現れた。
「あのくそガキ、人が抵抗できねぇの分かってて好き勝手やりやがる……」
唸るように呟き、険しい表情のまま、ディースは立ち上がり、軽く身をほぐす。そして、両腕の袖に付いていたカフスを取り、それを自分の耳にピアスのように付け替えた。カフスのようにカモフラージュされていたそれは小さな電子音を立てて、瞬く間に簡易スコープに変化した。唖然とするリックを無視して、ディースは扉に近付き、手を当てて何かを探すように撫で回し始めた。
「あ、あのう……」
声をかけるのは怖かったが、リックにはどうしても聞きたいことがあった。
「何だ?」
「拘束錠は?」
確かディースも両手足に拘束錠がしてあったはずだ。
ふと床を見れば、二人分の開いた拘束錠が転がっている。一つはディーのものだ。もう一つは、ディースのものだろう。どう考えてもそうなる。
(どうやって外したんだ?)
ディースは振り返りもせず答えた。
「不良品だったんだろ」
「え? でも、そんな」
そう言った瞬間、からんと音を立ててリックの拘束錠も床に落ちた。
「え、えぇっ!?」
思わず、リックはまじまじと自分の両手足と落ちた拘束錠を見比べた。
(嘘だ。だって、さっきはちゃんと――)
だが、拘束錠が外れているのは紛れもない事実である。
(ふ、不良品?)
だけど、そんな都合の良いことがあっていいのだろうか。
驚くリックを一瞥して、ディースは軽く肩を竦めた。そして、扉の右横のある部分で手を止める。
「ココだな」
そして、ディースは自分の後ろ襟首を探る。
「……?」
襟の折り返しの裏から取り出したのは指一本くらいの細く小さな銀色の物体だった。
「何ですか、それ?」
「最新型の高性能粒子分解装置」
「……」
(だから、ナニ?)
ディースは銀色の物体を、手を当てていた部分に設置すると、後方に下がる。
「簡単に言うと爆弾だな」
その瞬間、銀色の物体は閃光を放った。
「なっ!」
余りの眩しさに両腕を上げて、リックが目を庇うと同時に轟音と響き渡り、爆風が吹き荒れた。
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