閉鎖された空白の世界。 ただ白い世界が均一に広がっている。 その無限に続く白の中に、一つだけ色が存在した。 裾の長い、白い衣服を纏った黒髪の女。 硬く閉じられた双眸に、淡く色づく唇、少女らしい幼さを残している。 緩く波打って、広がって漆黒の髪は長く、華奢な腕に絡んでいる様はどこか艶かしい。 一見すれば、精巧な人形かと思うほど微動だにしない姿は異常なまでに白い世界に際立ち、女の存在を強調している。 それなのに、女は世界に溶け込んでいた。 突如、空間が震えた。 そして、一人の青年が出現する。 青年は足元に横たわる女を見下ろし、不意に屈み込むと、その白い頬に触れた。 (……一応、安定したみたいだね) 手のひらから感じる落ち着いた力の流れに彼は静かに微笑んだ。 人であった女は彼の力を与えられて人ではない存在へと変じた。 それは女が望み、彼が認めたことだ。 だが、本来、持つことのない異質な力に女の魂はその心とは裏腹に抗った。 当然であろう。 人間として本質を歪め、全く事なるものへと再構築するのだから。 その痛みは彼女の魂を崩壊させるだけの衝撃を持っていた。 だが、女は乗り越えて見せた。 それを為し得たのは失ったものたちへの愛情と、奪ったものたちへの憎悪。 怨嗟の声を上げながら、女は新たに生まれ変わった。 より純化され、美しい生き物へと。 だが、変化を遂げたとはいえ、いまだ不安定な状態。 だから、彼は強制的に女の意識を閉じさせ、閉鎖した空間で、安定するまで留めていた。 女の存在を抹消しようとしている傲慢な存在から隠して。 滑らかな白い頬を撫で、彼はそっと長い黒髪を一房掴み取る。 癖のない艶やかな髪はさらさらと彼の指の間から滑り落ちていく。 その感触を楽しみ、彼はくすりと笑った。 彼のこういった行為を女は嫌っていた。 意識があったら、殺意を持って拒絶していたことだろう。 だが、今の彼女は何も知らず、受け入れている。 何度か同じことを繰り返し、彼は女の髪に軽くくちづけた。 「そろそろ、かな……」 完全に力と馴染ませていくには彼女の意識を目覚めさせる必要がある。 覚醒を促す時期が来ている。 何も思い煩うことなく、眠り続けているのは、きっと彼女にとって一番望ましいことなのだろう。 女が無意識のうちに生き残った自分を責めているのは知っている。 大切なものを奪われて、復讐という選択をした自らの愚かさを嘲っているのも。 だが、切り捨てるにはあまりにも強烈な感情で、だから彼女は自身を傷つけてでも敵を討とうとしている。 そっと双眸を細め、彼は微笑んだ。 『忘れて生きていけるなら、生きればいい――人として』 人間は忘却して生きていく。 膨大な記憶をいつまでも抱えていくには容量が少ないのだ。 『――出来る訳がない。この憎しみを、喪失感が無くなる日なんてない!!』 ならば、抱えて生きていくと。 人でなくなっても、抱えて、そして、復讐すると。 そう女は宣言した。 失ったものがそれで取り返せる訳ではないと理解していた上で。 彼の指先に絡む長い黒髪はまるで彼女を捕えようとしている闇の触手のようだ。 一度炎によって焼かれ、短くなった髪はこの空間に留まるうちに長く伸びた。 それだけの時間が過ぎていた。 綺麗な、綺麗な彼女。 だけど、本当に美しいのは覚醒している時。 最も美しいのはその双眸が怒りに輝く時。 彼女は知らない。 自身の持つ『力』を、その存在の価値を。 だから。 「逃がしはしないよ」 長い黒髪を愛しむように唇を寄せながら、彼は笑った。 来るべき『瞬間』から。 その瞬間、女の長い睫がかすかに震えた。 |
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