「やあ、こんにちは。前、いい?」 ひょっこりと通路から顔を出し、青年は老紳士に尋ねかけた。 窓の向こうで流れる景色を眺めていた老紳士はゆっくりと視線を動かした。 通路に立つ青年はにこやかに微笑んでいる。 淡い金色の髪に、翠の瞳、柔和な容貌。 その指先が老紳士の前の空席を指していた。 「構いませんよ」 穏やかに老紳士は頷いた。 「どもども」 軽く礼を言って、青年は老紳士の斜め前に座った。 その様子を見つめ、老紳士は微笑みを浮かべて問いかけた。 「楽しいですか?」 「ん?」 老紳士は言葉を補ってもう一度繰り返した。 「人間の乗り物は楽しいですか?」 その瞬間、青年はくすりと笑った。 「んー、まあまあ? よく考えるよね、人間は」 彼らが乗っているのは長距離用の蒸気機関車だ。 車輪の廻る音に合わせて、伝わってくる振動はどこか心地良い。 流れていく景色はいつまでも飽きない。 だが、それは人間の場合。 乗り物を使わなくても遠方に移動できる手段を持っている者たちにしてみれば、無駄な存在でしかないだろう。 「私に何か用ですかな?」 「ふぅん? 用があると思い当たることがあるんだ?」 翠色の瞳を悪戯めいた輝きに煌かせながら、青年は問いかけた。 老紳士は静かに苦笑する。 「……これでも、若い頃は色々ありましたから」 「最近はそうでもない?」 「そう、ですな。私の知らぬところで騒いでいるようですが、静かなものですよ」 そして、老紳士はそっと視線を落とし、自らの左胸に手を当てた。 何かの存在を確かめるかのように。 「実はね」 青年の言葉に老紳士は顔を上げた。 青年は掴み所のない微笑みを浮かべていた。 「あなたが持っている『鍵』を譲って欲しいんだ」 老紳士の顔から表情が消える。 だが、すぐに微笑が戻り、老紳士は流れていく田園風景に眺めた。 「……必要ないでしょうに」 老紳士の視界の隅で青年は軽く肩を竦めた。 「僕はね」 「……」 「断ってもいいけど、でも、もう決まってるからね?」 決めた、の間違いだろう。 そう内心、呟いて老紳士は笑った。 生まれた時から自らの裡にあった『鍵』。 それは彼にとって、知識の片鱗だった。 この世界を創造した『神』の実在を示すもの。 この地上に封じられた、天上への扉を開くために必要なもの。 扉は神の意志を以って訪れる者には開くが、神の意志に背く者を阻む。 だが、地上に散った『鍵』を集めれば強制的に開くことも叶う。 「……神は全能ではない」 「それが、どうかした?」 あっさりととした答えに、老紳士はゆっくりと瞳を閉じた。 『鍵』を持つゆえに、抱いた疑問。 不要なものなら最初から創らなければいいのだ。 『鍵』は扉を開けるための道具。 道具は使わねば意味がない。 使われることを恐れ、封じるのならば存在するは何故だ。 神は創造主かもしれない。 だが、万能ではないのだ。 目の前に座る青年が、その確たる証。 「で、どうする?」 「創造主に背けと……?」 全能でなくとも、創造主たる神に背くことなどできない。 その実在を知るがゆえに、老紳士は『鍵』を閉じ込めるためだけに存在する自らの運命を受け入れた。 「それが叶うかどうかなんて考える必要ないよ。君は選ぶだけでいい。人間にはそれができる。その点で、あいつが創造したなかでも人間は上等の部類に入るね」 軽い調子で言われて、老紳士は目を閉じた。 「上等、ですか」 「うん、愚かだけどね」 ややあって、老紳士は目を開けて微笑んだ。 「では、やはり私は人間なのですな」 わずかに青年は双眸を細めて、老紳士の答えを待った。 「愚かな選択だと分かっていながら選ばずにはいられない」 老紳士は再び窓の外に視線を向ける。 風景は田園から街並に変わっていた。 「……学会に出る予定でした」 「予定は未定って言うよ?」 「そうですな」 老紳士はさらりと肯定した。 そして、人の姿をした人ではない青年を見据えた。 「私の運命を壊して下さい」 老紳士の言葉に、青年は静かに微笑んだ。 |
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