「これしきのことで倒れてなるものか!」

 激しい憤りの声に、周囲の空気が震えた。

 その可愛らしい容姿に似合わぬ感情を発露させる少女は全身を真紅に染めていた。
 血を含んだ銀色の巻き毛が全身から発せられる怒気に逆立っている。
 憎悪に揺らめく碧の瞳の瞳孔はまるで獣のようだった。

 次の瞬間、少女の背からずるりと滑りを帯びた皮翼が現れた。

 それは禍々しい輝きを放っていた。


 深い息を吐き、少女はゆっくりと立ち上がった。
 そして、怒りに歪んだ表情で、目の前に冷然と立つ女を見つめた。


 長い黒髪。
 ほっそりとした華奢な体。
 いまだ少女の印象を残した容貌を裏切る、その厳しい眼差し。
 射抜くように見据える瞳は凍える酷寒の蒼氷。


 その周囲を舞うのは白き羽根。


 少女はぎりりと血が滲む唇を噛み締めた。


「堕天して、尚、その身に白き翼を負っているなんて……。本来なら、我らの同属でしょうに!」

 女の背には一対の純白の翼が広がっていた。

 それは力の象徴。
 女の身に宿る力の顕現。


 吐き捨てられた言葉に、女は嘲笑した。


「堕天などしていない。私は、神に仕えた覚えもなければ、天にいたこともない。だからこそ、天に至る途を求めてここにいる」
「何、ですって!?」
「……さあ、素直に話してもらおうか。『彼』は何処だ?」

 『彼』――天界への扉を開く『鍵』の一つの在り処を知る者。

「言うと思って?」
 少女の言葉に、女はふわりと笑った。
「思ってない」


 その瞬間、少女の体は弾き飛ばされていた。


「!!」
 全身にかかる負荷に、少女は自らの体が軋む音を聞いた。
「言わないなら、いい。多少、手間取るが、探すだけのこと」
 不意に少女は碧の瞳を見開いた。
「させないッ!」

 そして、少女は自由を取り戻す。

「あれは、この地にあるべきもの。この地にあって、滅ぶべきものよ!」


 殺意と込めた眼差しが女を貫くと同時に、少女は地を蹴っていた。
 禍々しい漆黒の炎が、少女の手に集う。

「闇に喰われろ!!」

 確かな質量と熱量を持った漆黒の炎が舞う。
 だが、女は動じなかった。
 踊るような身軽さで飛び退き、右手を軽く横に凪ぐ。
 その軌跡はそのまま眩い光の刃と化し、漆黒の炎を切り裂いた。


 異なる力が反発する。
 それは空間も震わせ、いつの間にか展開されていた結界に崩した。


 それを感じ取った二人は同時に息を呑み、ある一点に視線をやった。



 そこには――銀色に輝く槍を手にした天使が立っていた。


「ようやく、出てきましたね、神に背きし罪深き者たちよ」


 静かに紡ぐ声はまるで音楽のように澄んでいた。
 柔らかな微笑みは慈愛さえ讃えていた。
 だが、その手にある銀槍に集束している力は紛れないもない敵意の表れだった。


「……罪、深い? 笑わせる」
 冷ややかに笑い、女は滾るような憎悪を込めて、天使を睨んだ。
「私が罪を犯したというのなら、それは、ただ一つ! お前たちを一瞬で消し去る力を持たないことだけ!!」

 女の全身から放たれる力に、魔物の少女は飛び下がった。

「許さない。絶対に、許すものか。私のすべてを賭けても、お前たちをこの世界から消してやる」


 溢れ出る、圧倒的な力の奔流に、魔物の少女と天使は縛られ、身動きできなくなる。


 大気が震撼し、大地が鳴動する。




「…………ちょーっと、やりすぎだよ」



 場違いな声音に、時が凍った。


 ふわりと女の背後から腕が伸び、抱き留めるかのように、回される。
「邪魔をするな!」
 女は戒める腕に抗い、引き剥がそうとした。
「ダメだよ」
「!」
 耳元で囁かれ、女の体から力が抜ける。
 その様子を感じ取ったのか、声の主である青年はくすくすと笑った。
「あの二人の気配を追って、彼らが来る」
「……彼ら?」
 わずかに首を巡らした女は思った以上に間近に青年の顔があることを知って、不快そうに眉をひそめた。
「うん、魔物と天使」
 けろりと答え、青年は続けた。
「このままだと、三つ巴になる。でもって、ここは、かつて聖戦のあった聖地と同じように吹き飛ぶ」
「なッ!」
「僕は別にいいけど、嫌でしょ、君は?」
 笑いながら青年は女の肩口に顔を埋めた。
 その唇が髪に、剥き出しの首筋に触れるのを感じ、女は殺気を纏う。
「だったら、ココは退かなきゃ。――ちなみに、『彼』は確保したし」
「それを先に言え!!」
「えー? だって、楽しそうだったから、邪魔しちゃ悪いかなと思って〜」
 嘯きながら、青年はふと視線を凍り付いている魔物の少女と天使にやった。



「邪魔」



 たった一言。
 それだけで、魔物の少女と天使は抹消された。


「じゃ、これ以上、邪魔が増えないうちに行こうか」


 にっこりと微笑みかける青年の方こそ邪魔だと抱き締められたままの女は内心叫んだ。










028:菜の花     030:通勤電車

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