「えー、嘘〜。次の講義、休講だって!」 「あぁ、もう、来て損した」 「掲示板、確認しておけば良かったね〜」 少女たちのぼやきが彼女の思考を止めた。 (……休講?) 彼女がいる場所は街の学院のロビー。 本来なら、彼女とは縁がない場所だ。 姉が生きていた頃住んでいた村には小さな学校しかなかった。 そして、少女たちのように過ごす時を彼女は持つことはなかった。 創造主たる神とその下僕の天使が住まう世界。 そこへと至る道への鍵を求めて、彼女は世界を巡っていた。 この学院で講師を務める教授が鍵の一つの在り処を知ると聞き、彼女はこの学院を訪ねていた。 何気なく、彼女は少女たちの話題にあった掲示板に視線をやった。 日が落ちても見えるように細工された掲示板はほのかに光を放っていた。 薄い硝子に覆われたそれには幾つかの講義の変更内容が記されている。 そして、彼女は秀麗な顔を歪めた。 掲示板に記された休講の科目。 そこに続くのは担当する講師の名前。 それは彼女が会う人物の名だった。 「残念だったわね」 不意に届いた声に、彼女はゆっくりと振り返った。 ロビーの入り口に、学院の生徒らしき少女が立っていた。 銀色の長い巻き毛。 鮮やかな碧の瞳。 きつい眼差しに、少女の気の強さが如実に表れていた。 「……誰だ?」 彼女の問いに、少女はくすりと小さく笑った。 「貴女こそ、誰? あの人に何のようだったの?」 静かに彼女の表情から戸惑いが消え、代わりに冷徹な探るようなものへと変わる。 「天使、ではないわよね? あの愚鈍な輩は人の姿を纏うなんてことしないから」 少女を黙然として凝視していた彼女は不意に薄く笑った。 「そうだな。あの連中は神に創造され、仕える自らを誇りにしている。地上で必死に生きている人間の姿を取ろうとなどしない」 「あら、同意見?」 嬉しそうに少女は微笑んだ。 しかし、その微笑はどこか歪んでいる。 見覚えがあった。 (同じだ) 優しい微笑みの奥底で揺れている歪んだ狂気を宿した青年と。 彼女を導く唯一の共犯者である存在と。 だが。 (あの阿呆と同じ存在などいるはずがない) それを誰よりも知っている。 否、理解せずには今の彼女は存在しない。 だから、目の前で笑っている少女が何者か彼女は推測することができた。 「で? 魔物であるお前は『人間の姿』を取るということか」 その瞬間、少女は碧の双眸を軽く見開いた。 それと同時に、彼女は勢いよく拳を横に叩きつけた。 鋭い亀裂音。 壁にあった掲示板の硝子が砕け散る。 微細な粒子がゆっくりと降り注ぎ、光の乱反射を生み出す。 その向こうで毅然と立ち、笑う彼女の姿に、少女は一瞬言葉を失った。 硝子の粉雪が降り注ぐ黒髪。 苛烈な意志に輝く氷の瞳。 秀麗な容貌に浮かぶ微笑は魔物である少女でさえ魅せられるほど美しかった。 次の瞬間、舞い落ちていた硝子の粉雪が停止する。 そして、それは突如一羽の鳥を象り、少女に向かって空を走り抜けた。 「!?」 咄嗟に両腕を上げ、少女は自らを庇うが、粒子である硝子に意味はなかった。 響き渡った絶叫に、彼女は一笑した。 「天使であろうと魔物であろうと、私には関係ない」 彼女の行く手を阻む者はすべて敵。 「貴様……」 苦悶に震える少女は全身を朱に染めながら、彼女を見上げた。 その様子を見て、彼女はわずかに柳眉をひそめた。 「やはり、な」 天使と魔物は同じ存在なのだ。 二つの存在は共に神に創造されたもの。 一方は神を讃え、一方は神を謗る。 相反するものを以って、神は自らの存在を確立した。 神を信ずる者も、神を背く者も、すべてかの存在の手の裡で踊るように、と。 天使も魔物も自分が他者から傷つけられる存在だと思っていない。 だからなのか。 こうして窮地に追い込むと、同じ表情をする。 「小賢しい細工をしてまで、よほど守りたかったのか?」 ざわりと空気が震えた。 艶やかな黒髪が揺れ、風もないというのに、舞い上がる。 そして、彼女の背に現れたのは一対の翼。 それは何者も侵せない絶対の色を持っていた。 それを見て、魔物の少女は叫んだ。 「貴様、堕天使か!?」 彼女の背に広がる翼は、目に眩しいほどに輝ける純白の色をしていた。 彼女は笑った。 「私が天使であったことなど一瞬足りとてない」 |
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