思わず、溜め息が零れた。 目の前に立っているのは――もう一人の自分。 まるで鏡の前に立っているようだ。 だが、明らかに印象が違う。身に纏う物が違う。 目の前の少女が纏うのは淡い水色のドレス。 貴族の令嬢らしい優雅なデザイン。 華美ではない程度に飾られた小さな花の装飾品は少女の初々しさに映えた。 「……まあ、本当にそっくりですのね」 瞳を丸くして、眺められ、彼女は徐々に気分が下降するのを自覚した。 (何だ、これは) その不快感を追求するより先に彼女の口は開いていた。 「満足いただけたのなら、これにて失礼する」 無愛想な声音に、少女はきょとんと瞳を瞬いた。 事の起こりは単純な人違いだった。 彼女の否定を信じず、従者と名乗る者たちが屋敷に攫って来たのだ。 当人たちにとっては連れ帰ったのであって、攫う気など欠片もなかったことなど関係ない。 そして、人違いが発覚して、そのまま解放されるはずだった彼女は令嬢たっての『命令』で留まることを余儀なくされた。 世間知らずの令嬢にとって、双子でもないのに自分そっくりな人間がいることなど信じがたい現実だったのだろう。 だが、世界は広い。 そして、この世界は創られたものだ――『神』と呼ばれる存在によって。 一人や二人、同じ容姿を持つ者が存在してもおかしくない。 「どうしてお帰りになるの? わたくしは何も聞いてないわ」 どこかずれた言葉に、彼女は柳眉をひそめた。 「それにしても、本当にわたくしにそっくりだこと」 そして、少女は軽く手を叩いて、無邪気に笑った。 「そうだわ! ねえ、わたくしの服を着てみてくださらない?」 くすくすと楽しそうに、少女は彼女に尋ねた。 「屋敷の者たちはわたくしと貴女を間違えるかしら?」 彼女はきつく唇を噛み締め、少女を見据えた。 「断る」 「……どうしてですの? お礼ならしますわ」 胸の裡から競り上がってくる苦々しさに、彼女は眼差しに力を込めた。 「礼など欲しくない。そんな問題ではない」 「欲しくない……?」 「あぁ」 「でも」 更に言い募ろうとした少女に、彼女の苛立ちの限界は訪れた。 「いい加減に」 しかし、怒声となって放たれるはずの言葉は突如背後から伸びてきた腕の存在に途切れる。 「!?」 「見ーつけた」 弾んだ声音。 腕の感触。 背から感じる温もり。 「突然いなくなるんだから、心配したんだよー?」 大げさな安堵の溜め息と同時に、彼女は抱き締めてくる腕を振り払った。 「貴様!」 「あー、はいはい。ホント恥ずかしがり屋さんだよね」 突如現れたとしか思えない青年の言葉に、彼女は絶句した。 (は、恥ずかしがり屋さん……だと!?) 何を言い出すのか、この男は。 怒りと混乱に眩暈さえ覚えた。 「あ、あの、どちら様ですか?」 控えめな問いに、彼女は我に返る。 しかし、令嬢の顔を見て、再び彼女は絶句した。 ほんのりと朱に染まった白い頬。 わずかに焦点の合わない視線。 その向かう先は――たった今現れた青年。 頭痛がした。 (冗談だろう……) 確かに、青年の容姿は人並み以上に優れている。 柔らかな金色の髪に、翠の瞳。柔和な印象を与える容貌は清廉な凛々しささえ伴う。 だが。 だが、この青年は人ではない。 その背に潜むのは漆黒の翼。 その裡に巣食うのは混沌たる闇。 その瞳に宿るのは底知れない、モノ。 間違っても、箱入りのお嬢様の恋愛相手に相応しいとは言い難い。 「また、厄介なことを……」 「ん?」 呻くように呟いた彼女を覗き込むようにして、見つめ、青年はくすりと笑った。 「大丈夫大丈夫、興味ないから」 完全に彼女の思考を理解した上での返答に、彼女は視線を上げ、青年を見やった。 「だって、分かりきった結果の過程を楽しむほど、僕、暇じゃないし?」 その瞬間、彼女の表情が歪む。 「貴様、悪趣味だな」 「今更〜」 「あ、あの?」 存在すら忘れ去られようとしていた令嬢が控えめに声をかけた。 彼女は令嬢をちらりと見やり、そして青年を見る。 「どうかした?」 にっこりと微笑む青年の視線は彼女にだけ注がれている。 令嬢の存在などないかのように、いつも通りの飄々とした態度だ。 不意に、令嬢は自分が無視されていることに気づき、真っ青になる。 そして、相変わらずの微笑を絶やさない青年を、彼女は睨みつけた。 ――貴様、分かっててやっているだろう。 音ではない『声』で詰ると、青年の翠の瞳が一瞬不穏な輝きを浮かべた。 ――僕にとって価値あるのは君だからね。 それが何を意味しているのか、分からない彼女ではなかった。 |
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