それはとても居心地の良い空間だった。
 何もする必要のない、何も必要としない、彼だけが存在する空間。

 それを認識した瞬間が彼が自らのことを認識した時だった。

 そして、浮かび上がる疑問。


 何故、此処に在るのか。


 この空間は束縛だ。

 彼の覚醒を封じる、揺り籠。
 彼の身動きを阻む、檻。
 彼の誕生を妨げる、殻。


 答えを得て、そして彼の裡からまた疑問が生まれる。


 『何』が彼を束縛するのか。


 彼を束縛する必要があるもの。
 彼を束縛したいと願うもの。


 それが彼とは対極に位置する者だと、彼の裡から答えが返ってくる。


 その答えを何度も繰り返し、彼は初めて意識が明確になっていることに気づいた。

(バカなことをするんだね)

 呟きは音にならなかった。
 彼の喉は音を紡ぎ出さなかったのだ。

(そんなことをして止められると思ったのかな……)

 彼は一つ溜め息を零した。
 試しに指先を動かしてみる。

 わずかに振動する空気。

 上下左右の間隔はないが、何かに包まれているのを彼は感じ取っていた。
 そして、この空間に満ちる力が彼の眠りを促していることを。
 だが、それは今も徐々に弱まっていく。
 否、弱まるというより制御ができてないと言った方が正しいだろう。

 閉鎖された空間に綻びが生じていた。

 その隙間から流れてくる色々なモノが彼の意識を刺激し、覚醒へと導いていく。


 様々な想い。

 それは時として穏やかな海のようで。
 それは時として激しい嵐のようで。

 一色ではない感情。

 それは時として黒く、濁ったもので。
 それは時として白く、澄んだもので。

 無数の願い。

 それは時として自己勝手で。
 それは時として献身的で。


(おもしろいね)


 それが彼の感想だった。


 だから、彼はそこから出ることにした。
 それを望まない者がいることなど関係ない。
 それを望む者がいないことなど関係ない。

 ただ、彼が望んだことだけが必要だった。





 そして、柔らかな殻はその役目を終えた。










010:トランキライザー     012:ガードレール

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