暗闇の中、悲鳴が上がった。

 絶望に染まった叫び。
 硝子に爪を立てたような、心を引き裂かされるような悲痛な声。

 その声が合図だったかのように、虚空から一人の青年が現れる。
 そして、声の主を見た瞬間、眉をひそめた。

 暗闇の中、髪を振り乱し、闇雲に暴れているのは一人の娘。

 まるで獣のような印象だった。
 細く白い喉からは意味をなさない言葉の羅列が迸っていた。

 それは『痛々しい』というより『凄まじい』。

 自らさえも傷つけかねない様子に、青年は無言で娘の側に近寄った。
 そして、その華奢な両腕を掴み取る。
 しかし、娘は青年の存在など無視して、ただ叫びを上げ、涙を零す。

 氷のような瞳は現実を見ていない。

 映っているのは殺戮の祝福を受けた光景。

 理性を完全に逸した娘が自らの舌を噛み切ろうとする。
 それは心の奥底で『死』を望んでいたがゆえの無意識の行動だった。

 大切なものを一瞬で失い、絶望に突き落とされた彼女に生きる執着心は皆無だ。

 その行動を察した瞬間、青年は娘を引き寄せ、暴れる四肢を捻じ伏せた。


「!?」


 一瞬、恐慌が止まる。

 娘の隙を突き、深く唇を重ねた青年は双眸を細め、更に角度を変えた。

 唇を割り、舌を差し込み、執拗に貪るくちづけに娘の肩が震えた。
 本能的な恐怖に押され、娘は顔を背けた。


「ふ……ぁっ!」


 ほのかに上気した顔はひどく艶めいて、青年はかすかに微笑む。
 濡れた唇に誘われるまま、再び引き寄せ、青年は熱を帯びた息すら奪いかねないくちづけを与えた。



 闇の中、小さな水音が響く。



 娘の体から力が抜け切り、倒れ込むまで追い詰めてようやく青年は唇を離した。


「……ちょっとは落ち着いた?」


 柔らかな体を支えたまま、青年が囁き問い掛けると、娘は緩慢に顔を上げた。


「お前は誰だ……?」


 見つめ返してくる瞳に、羞恥と怒りが入り混じった感情を見い出し、青年は満足げに微笑む。
 それと同時に娘の顔色が変わる。
 青年の微笑みが彼女の記憶を揺さぶった。

 柔らかな、穏やかな微笑。
 神々しささえ感じる、白い容貌の。

「あ」

 再び恐慌状態に陥りそうになる瞬間。

「!?」

 青年は娘の唇を塞ぎ、叫びを封じる。

「っ……止め……ろッ!!」

 身を捩り、娘は青年を突き放した。
 青年はあっさりと娘を解放し、何事もなかったように声をかけた。




「落ち着くまで何度だってしてあげるから大丈夫だよ」




 その瞬間、狂気を吹き飛ばすような怒号が闇の中を貫いた。










009:かみなり     011:柔らかい殻

100問 Top

Novel Top






SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送