世界はあらゆる色でできている。 人が考えるほど単純な色で、世界を描けるほど、『色』は少なくない。 (なのに) 「お前は、ひたすら『黒』だな」 思わず、呟きを零した彼女に、彼は振り返った。 「……何か言った?」 とぼけた表情の、柔和な容貌の青年を見据え、彼女は口を噤む。 髪や瞳が漆黒な訳でもない。肌が褐色という訳でもない。 だが、彼を『黒』と印象づける唯一のモノがある。 今は彼の背に潜んでいる、漆黒の翼。 ソレを美しいと思うか、禍々しいと思うか。 「無視ですか、お嬢さん?」 気に障る呼びかけに、彼女は氷に似た色合いの瞳に剣呑な輝きを灯した。 しかし、相手は動じた様子もなく、苦笑した。 「無視されるのって傷つくんだよ?」 そう言って笑う青年の印象は、やはり『黒』。 (この嘘吐きめ) 「それとも、この僕に隠し事する気?」 くすくすと笑う姿はどこか異質で、虚ろ。 だが、それが彼の本質で、そして、彼女が不本意ながら必要するとする存在だ。 「……世界を人が生み出した色で描くのは難しいと思っただけだ」 「ふうん? 随分と哲学的なことを考えていたんだねぇ」 目を丸くして、青年は楽しそうに笑った。 「でも、それは当然だろう? 人が見えるモノが世界のすべてという訳じゃないんだしさ。ましてや、クレヨンみたいな十二色や二十四色で、世界が色づいているなら、それは狂っている世界だよ」 何気なく語られる言葉に潜む、青年の闇。 何故、誰も気づかないのか。 こうして、往来を歩いていても、誰も彼を異質だと思わない。 否、彼女の方が異質なのか。 青年の異質を気づくことのできる彼女の方が。 「でも、クレヨンの世界か。ソレって結構面白いかもね。きっとさ、あぁいう世界だな」 そして、青年が指差したのは子どもによって盛大に描かれた壁のらくがき。 形になっているのかなっていないのか、訳の分からない代物。 だが、当たり前なことに描いた子どもには分かっているのだ。 世界は創造主にとって、すべて既知の産物。 彼女の顔から表情が消え、冷え冷えとした怒りの炎が氷の瞳に宿る。 「……無駄口を叩いていないで行くぞ」 冷淡な言葉に、青年は一瞬驚いて、そして苦笑した。 「はいはい、仰せのままに」 世界が無数の色で彩られている。 だが、彼女の脳裏に焼きついた、一色が今も消えない。 消えることはない――赤い、赤い、あの光景は。 そして、ずんずんと先に進んでいく少女の後ろ姿を見つめ、青年は笑った。 「気に入らなければ、クレヨンみたいに塗り潰せばいいんだよ」 黒。 それはすべてを内包する色。 |
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