異界の秘宝 前編




「リ、リュ―クっ! よそっ、ここは駄目だってば!」
 そう言うと、琥珀色の瞳に栗色の髪の少年は隣の人物の袖を引っ張った。
 しかし、いくら少年が言ってもその人物は沈黙したままである。ぴくりとも動かない。
 力づくですれば、なんとかなるかもしれないが、場所が場所なだけに到底無理だった。
「ここは、戦場なんだぞッ」
 少年は声をひそめたまま叫んだ。
 自分たちが隠れている茂みの外は戦場の真っ只中なのだ。

「近道だ」
 隣の人物がライドの瞳の少年の方を向き、言い切った。
 女性と見間違えるような美貌に冷ややかな光りを宿す翡翠色の瞳で見られ、少年は息を呑み、頭を抱えた。
「だからって……戦場は止めようってばあ〜」
 リュ―クと呼ばれた青みがかった長い銀髪の青年は不満そうに言葉を紡いだ。
「その方が、仕事が早く終わる」
「それはそぉだけど――……」
 ライドはリュ―クの言葉に溜め息を吐く。
(リュ―クの人嫌いは知っているけど……)
 不意にライドの脳裏に数日前の出来事が過ぎった。

 アルスハル皇国の都市ディオル。
 自分たちはそこでラスティンをしていた。
 ラスティン――自分たちの能力を売りとする者。魔法、剣技、力、知識、商売などの才能を持つ人々の総称である。
 そう、自分たちはラスティンで客に届け物を頼まれたのだ、それも秘密裏にと。
 それは、別にかまわなかった。
 実際、そういう代物は裏世界ではよく見るし、そうでなくても人様に狙われやすい者は護衛が必要だ。ラスティンに頼む人々も少なくない。
 仕事の内容は問題なかった。
 あったのは依頼者である客だった。

 リュ―クの人嫌いを知らずに馴れ馴れしくし、その上――仕方ないといったら仕方ないのだが――女と間違えたのだから……。
 リュ―クは美形である、『美青年』なのだ。『美女』と間違われるくらいの美貌なのだ。

 彼は我慢した、本当によく我慢した。
 彼は最後まで我慢した。
 だが、客の印象が悪かったため、一刻も早く拘わりをなくしたいと思ったのだろう。
 届け先であるヴィカイ国の北端の街イーダゥトはアルスハルの二つの隣国の国境とヴィカイの国境に近い街だ。普通ならディオルから直線で行けるイーダゥトだが、その直線が隣国同士の国境に重なっている。平和時は問題ないが、今は戦争しているのだ。
 だから、旅人や旅商人はわざわざ遠回りしている。
 自分もそうするつもりだった。

(……だったのに)  この仕事を早く終わらせたいリュ―クはその戦場を横断するというのだ。
(そんなに女に間違われたのが嫌だったんだろうか……)
 ふと横を見れば隣にいたはずのリュ―クがいない。
「え」

 慌てて前を向けば、ずんずんと歩きだすリュ―クの姿があった。
「ちょっ……待て――ぃッ!」
 リュ―クの行動に我を忘れ、ライドは叫び、立ち上がってリュ―クを追いかけた。
「お前なぁ、早く終わらしたい仕事だからって命を賭けることはないだろうがっ! もう少しよく考えろよっ!! 死んだら何もかも無駄じゃないか――ッ!」
 ライドの言葉にリュ―クはしばらく沈黙し、そして頷いた。
「よく、分かった……」
 ほう、とライドは安心して胸を撫で下ろした。
「だが」

 ピクンとライドは嫌な予感に表情を強張らせた。
「……な、に?」
(聞きたくない、聞きたくないけど……)
「――もう遅い」
 リュ―クはじっくりとライドの表情を観察し、無表情のまま辺りを指し示した。
 え、とライドはつられて辺りを見る。

 ……囲まれていた。剣呑な眼差しが四方から集まっている。今まで戦っていた二つの隣国の兵士が戦闘を中断し、突然出て来た二人を取り囲んでいた。

「――あ、ちゃぁ……」
 参った、とライドは頭を掻く。

「……なんだァ、子供と女じゃないか――」
「何でこんなとこにいるんだ?」
「敵か?」
「いや、しかし……」
「子供の方は剣を持っているぞ……」
「たかがガキだろう」
「それにしてもキレーな女だなあ」

 その言葉にリュ―クは大きく震え出し、隣のライドは表情をしかめた。

「俺は、俺は……」
「子供、子供って……」
 そこら中の兵に女扱い、子供扱いされ、とうとう二人の我慢の限界に達した。
「俺は男だっ!!」
「馬鹿にすんなよっ!!」
 二人が叫んだと同時に戦闘は再開された――特に二人を中心に。

 咄嗟にライドは剣を抜き、襲いかかってきた刃を防ぐ。
 リュ―クは流れるような動きで攻撃を軽々と避ける。
「ああっ、うっとしいっ!! 危ないから止せってっばっ!」
(どっちが危ないのやら……)
 リュ―クはうまくかわしながらライドを見た。
 ライドの剣は両刃である。そのため、本人にその気がなくても人を傷つける。
 加えて、ライドは天才的な剣の使い手である。命を奪う気なら、それは可能だ。

「おいっ、リュ―ク、なんとかしろっ!」
 やれやれ、とリュ―クは兵の攻撃を避けながら両手を複雑な形に組んだ。
「『天を駆け巡る獣 その爪を持ちて 旋風を成せ』」
 げ、とライドが何か言おうとしたが、それは遅かった。

 突如、強い旋風が起こり、次々と兵を吹き飛ばし、弾き、薙ぎ倒す。

「でっ!?」
 ライドは慌てて剣を地面に深く突き立て、強く握り締めた。
 旋風の中心にいるリュ―クは平然と立っていた。
「リ、リュ―クっ!!」
 ライドの声にリュ―クはす、と腕を振った。
 すると、旋風が徐々に弱まり、掻き消える。
 ライドは完全に風が収まるのを待ってから、ゆっくりと剣を引き抜くと座り込んだ。
「この馬鹿! いきなり禁呪を使うなっ!!」

 禁呪――神殿が封印した魔法ならざる魔法。
 永久に禁じられた呪文。

 リュ―クは行く末は大神官かとも言われた優秀な神官だったが、禁呪を手にしたため追放されたのだ。
 失礼な、とリュ―クはわずかに眉をひそめた。
「ちゃんと手加減はしたぞ」
 確かに血を流しているのはライドが不可抗力で傷つけたものか、隣国の兵士同士によるもののみである。

「――それにしたって限度ってもんがあるだろうっ!!」
 戦場で動いている者はライドとリュ―クだけだった。他の兵士達は完全に気絶している。見渡す限り、こうなのだ。
 これでは、しばらくの間、戦争は中止だろう。
 ライドは深く溜め息を吐いた。




「やぁっと着いたなあ〜」
 ライドとリュ―クはヴィカイの北端の街イーダゥトにいた。
 あれから、ここまで来るのに大分時間がかかった。
(それもこれも)
「だいたい、リュ―クは禁呪を使い過ぎなんだよ。それで、神殿を追放されたくせに――」
「追放されたんじゃない、自分から抜けたんだ。それに禁呪の方が疲れない」

 通常、魔術師や神官が使う魔法は自分に秘められた能力を引き出したものだ。だから、疲れる。しかし、禁呪の方は大自然の力を利用している。だから、疲れない。
 もっとも、禁呪は正しく理解しないと使えない代物だそうだが――。
 つまり、それだけリュ―クが優秀なわけである。

「リュ―ク、急に止まんなよ。……リュ―ク?」
 突然立ち止まったリュ―クの様子がおかしかったので、ライドは文句を途中で止め、呼びかけた。
 二人はいつのまにか届け先の家に来ていた。
 リュ―クは戸口から動かない。
「着いたなら、さっさと渡してしまおうよ」
「……無駄だ。死んでる」
 淡々と答えて、リュ―クは中に入り、主らしき男の遺体を観察した。

「人間の仕業じゃないな」
 致命傷の跡はとてつもなく鋭い爪らしいものだった。
 今度はライドが観察しようとそばにやって来る。
「だけど、動物じゃないよ。こんなに大きな爪を持ってる獣はいない」
「ライド」
「――厄介なことになりそうだね……」




「それでさあ、どうする気?」
「取り敢えず、情報収集だな」
 ライドとリュ―クは一階が酒場になっている宿にいた。

「『これ』は――どうする?」
 ライドは依頼された品物が入っている箱を振った。
「開けろ」
 ライドはぱちくりと瞬きをする。
「……本気?」

 リュ―クははっきりと頷いた。
 ライドは素直に従って箱を開いた。
 中身は何とも形容しがたい像だった。

 黒い台に据えられ、両手を広げ涙を流す、深い光沢のある女神像。

「ただの像か?」
 きり。締め付けられる心にライドは驚く。
「――分からない。だけど、調べるよ」
 ライドの言葉の意味を悟ってリュ―クは立ち上がった。
「わかった、ついでに届け先の男について下で聞き込む」
 ライドにしては珍しく、大人しく頷いた。
 完全にリュ―クの気配が消えたのを確かめて、ライドはすう、と瞳を閉じた。
 耳をよくすますと、小さな声が聞こえて来た。

 心の波長を周りに合わせる。

 そして、次に瞳を開いたとき辺りはたくさんの気配に包まれていた。
 くすくす……と微笑む半透明の乙女達がそこにいた。
『お久しぶりですわね……。今日は何の御用かしら』
 辺りに取り巻く者達は人ならざる精霊であった。
 ライドの特技ともいうべき異種との交感である。大抵の人は動物くらいだが、ライドは血筋かはたまた天賦の才か動物だけでなく精霊まで交感出来る。

 ――聞きたいことがあるんだ。
 半透明の女精霊が微笑み、後を促した。
 ――この像は何なんだ? 何か、変だ。
 示された像を見て女精霊の表情が強ばった。

『それは――この世界に属さぬもの。二つの異界のうち、片方の異界の秘宝……。もう片方と違い、我らを受け入れぬ闇のもの』
 ――何、だって!?
『ご忠告申し上げましょう。それに関わるべきではございません』
 ライドの驚きをよそに女精霊は真摯に告げ、消え去った。

 闇の秘宝――光の秘宝と対と為すもの。

 ライドはぎゅ、と自らの手首にある金の腕輪を握った。
 細やかな竜の細工がされた見事な腕輪は目の部分の大きなくぼみのせいか、目立たない。

(リュ―クに、言わなくちゃ……)
 ライドは階下にいるリュ―クの所に向かった。
 階下に降りたとたん、激しい物音が響き、ライドは驚いてその原因と思わしき人物を見た。
「リュ―ク! 何、また絡まれたの?」

 騒ぎの原因はリュ―クだった。彼の足元には軽そうな男が転がっていた。
 むすう、とリュ―クは不機嫌そうにライドを睨みつけた。
 また、女と間違われて声をかけられたのだろう。
「あーあ、完璧に伸びてる」
 気絶した男を見やってライドは同情の眼差しを送った。
「自業自得だ」
 つん、とリュ―クはそっぽ向く。
 ま、そりゃそうだけど……とライドは呟きながら、座ろう、と合図する。
 リュ―クはうなずき、ライドと共に別の席に座った。

「それで、どうだった――?」
「う、ん……これさ、異界の秘宝だってさ」
 女神像を指しながら、ライドは歯切れ悪く答えた。
「異界――……闇の、か――」
 ほんの一瞬、リュ―クは動揺し、瞳を細める。
「どう、する、気だ――?」
「う、ん……やっぱ、神殿に封印してもらうっきゃないかな。闇のは光のと違って災いしか呼ばないしなぁ」
 視線を泳がしながら、ライドは言った。

「ここから、一番近い神殿は――トプレク神殿だな」
 リュ―クは脳裏に地図を思い描きながら呟いた。
「んじゃ、ルノース街道を行くのが近道かな」
 リュ―クの言葉を受けてライドは続けた。
「そうだな」
 リュ―クが短く肯定する。
「……――それより」

 長い沈黙の後、ライドは溜め息とともに言った。
「リュ―クぃ、どうにかならない? これ……」
 周りの男達の視線が痛かった。
「知るかッ!!」
 店にリュ―クの叫びが響き渡った。



「……変だな」
 リュ―クの小さな声にライドはうなずいた。
 ルノース街道に入ってしばらくしたのち、二人は気付いた。
 さっきまで人通りは多かったはずなのに、いつの間にか自分達たちしかいない。

「!」
 突然、現れた前方の人影――緑の髪と瞳の美女に二人は思わず足を止めた。
「お前たち、そこに持っているものをおよこし」
 美女は偉そうに言い放った。
「それは我が主のもの。下賎な輩ごときにはふさわしくない」
 すう、とリュ―クの目付きが鋭くなる。

「――貴様、魔族か」
「ほう――お前、神官か?」
 美女はおもしろそうに妖艶な微笑を浮かべた。
 ライドは剣を抜き、構えながら呟いた。
「やっぱ、『あれ』狙い、かな……」

 くすくす……と魔族の美女は嗤っていた。
「私に刃向かう気か? おもしろいねえ。だが、その前に闇の秘宝をお渡し。それは我が主にとって必要なもの」
 ライドは緊張に顔を強張らせた。
 しかし、リュ―クの懐から勝手に女神像が美女の元に向かって空を滑る。
「なっ!?」
 二人は同時に驚愕の声を上げた。

 女神像は魔族の女の手に渡ると懐に収まった。
「確かに……頂いた」
 女の微笑にライドとリュ―クは表情を険しくする。
「冗談じゃない。魔族に、渡せるわけないよ」
「同感だ。俺はもう神殿とは関わりないが、これ以上馬鹿が増えるのはごめんだ」
 突如、女の長い緑の髪が広がる。

「――私の名を特別に教えてあげようね」
 殺戮の予感に女の美貌に愉悦の笑みが浮かんだ。
 じり、とライドは間合いを測る。
「我が名はカイジュ。戒めの樹――戒樹というのよ」
 勢い良く髪が伸び、ライドとリュ―クに向かって空を走る。

「何!? 髪じゃない、蔓っ!?」
 ライドは剣を振り回して襲って来た蔓を断ち切った。
「『煉獄の主にして猛き獣 その吐息を持ちて 業火を我が前に』ッ!!」
 リュ―クの周りに紅蓮の炎が生まれ、蔓を灰に変えていく。
「禁呪かっ!?」
 戒樹の驚愕の隙に、ライドは走り寄り、斬りかかった。
 戒樹は紙一重でそれを避けるが、ライドは続けて剣を閃かす。

「こしゃくなっ!!」
 キッと戒樹は睨み、緑の気の塊をライドにぶつけた。
「っ!」
 ライドは勢いよく弾き飛ばされる。
「ライドっ!! 『天地の理 重き息吹 我が命に従え』ッ!!」

 リュ―クの右手の周りの空間が不自然に歪んだ。
 次の瞬間、禁呪で生み出された重力の塊が空を走り、戒樹に襲いかかる。
 しかし、戒樹の短い一喝のもとに弾かれ、同時にリュ―クは戒樹の攻撃を受けた。
 リュ―クの四肢と顔に赤い筋が走った。
 その隙に態勢を立て直したライドが素早く戒樹の懐に飛び込んだ。そして、戒樹を斬り上ようと剣を振るうが避けられる。
 戒樹は再度、緑の気の塊を放った。
 まともにそれを食らい、ライドは後方に飛ばされた。

 なんとか着地したライドはそばのリュ―クに小声で尋ねた。
「リュ―ク、雷撃できる?」
「それは、できるが――効くとは思わない」
 話しながら二人とも戒樹から視線を外さない。
「俺の剣に落とせる?」
 かすかにリュ―クの頬が強張る。
「無茶だ。お前まで危険だ」
「大丈夫、大丈夫。精霊達が護ってくれるって」
 戒樹の攻撃で激しく身体中が痛みを訴えているが、ライドは堪えて明るく笑ってみせた。そして、しっかりと剣を持ち直した。
「頼んだよっ」
 一声叫んでライドは駆け出した。

 リュ―クは短く舌打ちし素早く両手の印を組み、呪文を構築する。
「『黄金の閃光 暗雲の紗幕を裂き 轟け』ッ」
「無駄なことを! 同時攻撃など効かぬわっ」
 轟音とともに黄金の稲妻が空からライドの剣に落ちる。
「っ!」
「何ッ!?」
 意外な出来事に戒樹は緑の瞳を見開いた。
 雷撃に寄る痺れを振り切り、ライドは剣を前に突き出す。
「!」

 鈍い衝撃と肉を貫く重み。
 ライドの剣の切っ先が戒樹の背から生えていた。
 次の瞬間、剣を通じて内部から雷撃が戒樹を襲った。
 長い絶叫が戒樹の口から迸る。
 そして、不意に戒樹と同時に斬られたのか、闇の秘宝である女神像が二つに割れて戒樹の懐から滑り落ちた。
 剣の柄を離し、ライドはそれらを受け止めようと手を伸ばした。
「っ!?」

 しかし、ライドの手には秘宝の半分しかなかった。
 ライドがハッと顔を上げると、もう半分は戒樹の手に握られていた。
 ず、と戒樹は剣を抜かず、後ずさった。
「口惜しい……。よもや、こんな――」
 戒樹は一気に憔悴した美貌を歪ませた。
「だが、これだけでも――」
 ぐ、と両手で戒樹は女神像の片割れを掲げた。

「何、をっ」
 ライドとリュ―クは嫌な予感に制止の声を上げた。
「よせっ!」
「止めろッ!!」
「我が主、メイシュ様のもとへッ!!」
 戒樹の叫びと共に緑の柱が屹立した。
 そして、半分の女神像は戒樹の手を離れ、吸い上げられるようにして――消えた。

 ライドとリュ―クは愕然となって立ち尽くした。
 その様子を見て戒樹は嘲りの笑みを浮かべて、静かに霧散した。
 残された二人は呆然ともう何もない所を凝視した。
「――っ、ずぅえったいっ」
 力の入ったライドの言葉の後をリュ―クは引き継いだ。
「取り戻す」
 一陣の風が吹いた――。










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