「何故……」 問い掛けて、シシルは唇を噛み締めた。 老公爵を追って転移したレイドリックの後に続いて、シシルは転移魔法を使った。 転移魔法は目的地の目印となるものさえあれば跳ぶことができる。ただし、その目印は魔力を帯びたものでないと意味がない。通常、魔術師たちは魔力を封じた宝石や魔道具を目印とするが、転移魔法に長けた者は魔力を持つ者――魔術師自体を得目印にできるのだ。 そうして、転移して、ヴァルトリー公爵とその公子を見つけたシシルはその場で硬直した。 たった今、耳にした言葉。 「……これは私に対する復讐か、セリシア!?」 そう呼ばれたのは――怜悧な空気を纏う公子。 呼ばれた名を持つ少女の兄……そのはずだった。 シシルは息を呑んで立ち尽くし、事の成り行きを見守るしかなかった。 公子は否定した。だが、それを打ち消すような叫びがシシルの心を貫く。 「黙れ! 儂が気づいていないと思っていたか。お前にはセリシアの記憶が残っている」 (セリシアの記憶?) 茫然とシシルは老公爵の言葉を反芻した。 セリシアの記憶を持つ者はセリシア自身だけだ。 (なのに) レイドリックは肯定した。 (姿変えの魔術?) 否、セリシアの体は氷室にあった。 姿変えの魔術は肉体の構成を意図的に変化させるものだ。セリシアの体がある以上、この魔術ではない。 それに、その心までが変わる訳ではないのだ。 探しに来たシシルと会った時、レイドリックはそれらしい動揺を見せなかった。 セリシアの記憶を持っていても、レイドリックはセリシアではない。それだけは確かだった。 そして、シシルは老公爵とレイドリックの言葉の端から知った。 蘇生したレイドリックの肉体。 呼び戻せなかった魂。 セリシアの記憶。 ヴァルトリー家の後継者。 (魂の、転換魔術……) 王家が所有する書庫の奥に封じられた魔術の書。 そこに記されているという数々の禁断の魔術。 その内容をシシルは知らない。だが、師より口頭で一度だけ伝えられたことがある禁断の魔術要項。 その中に、蘇生魔術と魂の転換魔術があった。 魂の転換魔術――他者の魂を奪い取り、自らの魔力に転換させるものだ。 レイドリックと老公爵の会話は明らかにその魔術の存在を仄めかしていた。 シシルはもう一度問いを投げかけた。 「何故、こんなことに……」 レイドリックは澄み切った若葉色の瞳に、強張ったシシルを映し、かすかに笑った。 「答えてくれ、俺はどうしたらいい?」 どうしたら、セリシアを取り戻せるのだろうか。 祖父を殺した直後でさえ、動揺の欠片一つ見せない冷徹な青年――その魂が優しい日溜まりのような少女のものとは到底信じられなかった。 だが、そうなのだ。 そうでなければ、セリシアは本当にどこにもいないということになる。 「忘れたらいい」 「……?」 「ここで見たもの、聞いたもの、お前にとって不都合なもの。すべて、なかったことにしたらいい。自分の記憶をいじることくらい、できるだろう?」 セリシアの死も、レイドリックの存在もなかったことにしたら、シシルは以前のようにセリシアの安否を気遣いながら、不安を胸に生きていけるだろう。今味わっている絶望を知らずに、やがてセリシアの存在を忘れることさえあるかもしれない。 そこまで考えて、シシルは笑った。 半分、呆れたような、泣きそうな表情で、シシルは笑った。 「無駄だ。同じだ。私は、ここに来る。そして、真実を知る。お前が存在する限り」 目の前に立つレイドリックとセリシアは全く違う。 なのに、一瞬、感じるのだ――セリシアの気配を。 その身に宿る魂の、わずかな片鱗を。 「だから、それではダメだ」 「お前のセリシアは、もう、どこにもいない」 「ダメだ」 「セリシアという存在は死んだ」 「ダメだ」 紡がれる言葉を片端から否定し、シシルは叫んだ。 「何があっても、認める訳にはいかないんだ、セリシア!!」 魂の底からの叫びに、レイドリックは口を閉じた。そして、かすかに笑う。 「――――愚かだよ、それは」 静かな言葉だった。 嘲りも皮肉でもない言葉は素直にシシルの胸に染み込んだ。 (やはり) やはり、レイドリックはセリシアの魂を持っているのだと実感した。 セリシアの言葉に偽りはない。いつだって、まっすぐに、時として痛みになるほど素直で、心に入り込んでくる。 「方法が、ない訳じゃない」 自らの愚かさを痛感しながら、シシルは続けた。 「セリシアの魂を再び元の体に移せばいい」 「――無理だと思うけどね」 今度は嘲笑が混じった声に、シシルはレイドリックを睨みつけた。 「本来、異なる体と魂を一体化したんだ。決して、遊離してしまわないよう完全に『溶接』されている。普通に、魂の転換魔術を使えば良いという訳じゃない」 「……『溶解』すればいい」 「自分がどれだけ無謀なことを言っているか、理解しているのかい?」 溶け合った部分を、綺麗に切り離すことなど不可能だ。 わずかでも交じり合ったままではセリシアは『セリシア』として目覚めない。目覚めたとしても、それは壊れているだろう。 レイドリックの場合、老公爵は最初から知っていたから、あえて、『設定』したのだ。 ヴァルトリー家の後継者として相応しい者に。 だが、シシルは『設定』しない。『設定』した存在を求めていないゆえに。 「――術がないなら、創ればいい」 「ふうん?」 何かを探るようなレイドリックの若葉色の瞳から目を逸らしたくなるのを堪え、シシルは見返した。 シーゼルク・ラルネ・ディーウの名を捨て、シシル・ラネッドとして生きることを決めた時、彼は魔法を捨てた。 二度と魔法は使わないと誓った。 シーゼルクが創り出した魔法は彼を高みへと押し上げて孤独にした。同じ過ちを繰り返したくなかったから、禁じた。 不意に、レイドリックはくすりと笑った。 「いいよ。好きにしたらいい。本当に可能だというなら、私は抵抗せず、セリシアの復活に協力しよう」 「――」 「ただし、その場合、彼女にこの家を継いでもらう。逃げられないよう手は打たせてもらう。それでも、彼女の傍らに在りたいというなら、創ったらいいよ、『竜殺しの魔術師』」 異名を呼ばれ、シシルは大きく肩を震わした。 「私は、役に立つ者が好きだよ」 ふわりと微笑みかけながら、レイドリックはゆっくりとシシルに歩み寄った。 「『竜殺しの魔術師』をヴァルトリー家が確保できるなら、それはそれで悪くない」 シシルは動けなかった。 「セリシアを求める限り、お前は私の許から離れられない。私を守らねばならない。この魂はセリシアのものだから」 レイドリックは静かにシシルの頬に手を添えた。 「さあ、どうする……? 今なら、間に合う」 シシルは耐えかね、レイドリックの視線から逃れるように瞳を伏せた。 「シシル・ラネッド?」 低い声音が甘く囁くように名を呼ぶ。 その瞬間、シシルはレイドリックの前に跪いていた。顔を伏せ、絞り出すように一気に告げる。 「すべては御心のままに」 くすくすとレイドリックは笑い出した。 「御心、ね」 それが誰のものか、レイドリックは追及しなかった。代わりに、上半身を傾け、そっとシシルの肩に手を置いて、彼は笑いを含んだ声で告げた。 「――――私たちの願いはきっと叶うよ」 それは冷たい、氷のような福音だった。 |
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