春を待つ頃

―3―




 秋は瞬く間に過ぎていった。
 ミルタは誰の目から見ても明らかなほど弱っていった。
 まず、意識を保っていられる時間が短くなっていき、一日の大半は眠っている状態だった。
 目覚めていても、ぼんやりとしていることが多く、日に日に儚くなっていく。
「姫様……お食事をお持ちしました。召し上がられますか?」
 ミルタは微笑んで頷いた。
「いただくわ……。食べないと、元気になれないものね――」
「姫様――」
 ミルタには体を治そうという意志があった。だが、その意志に反して体は弱っていく。
「美味しそうね……」
 しかし、ほんの少し口にしただけで、ミルタは吐き戻した。
「姫様!」
 慌てて女官長が背を撫でて落ち着かせようとする。そして、侍女を呼んで後片付けをさせ、ミルタを寝台に横たわらせた。
「……どうして……」
 荒い息の下で聞こえたミルタの呟きに女官長は胸を突かれた。
 ミルタには食べる意志があるのだが体の方が食事を受け付けない。逆に、食べようとするたびに体力を消耗して、逆に衰弱していく。
「姫様」
 小さな呼びかけに、ミルタはかすかに笑った。
「大丈夫……心配させてごめんなさい」
「いいえ、そんな」
 ミルタはゆっくりと視線を窓にやった。
 すでに色付いていた葉も落ちて、枝だけになった木々が連なっている。最近、陽が落ちるのが早く、寂寥感だけが募る光景が広がっていた。
 すでに秋は実り多き恵みの季節ではなく、すっかり冬支度が進んでいた。
(春になったら、きっと……)
 そして、そっと思い、ミルタはゆっくりと瞳を閉じた。




 一体、どれだけの時間が過ぎたのか――。
 ミルタはゆっくりと手を上げた。
 白い手。
 青白く、骨ばった指。
 ぱたりと手が落ちた。
 ミルタはかすかに口元に笑みを浮かべた。
 もう手を上げ続ける力もない。
(春は……まだ?)
 つい、この前、女官長は雪が降っていると言っていた。
 それから、どのくらい経ったのだろうか。
 ミルタは少し視線を動かした。
 部屋の中には自分以外誰もいない。暖炉には赤々とした火が灯っており、窓には厚いカーテン。棚の上には瑞々しい花が生けられた花瓶。その下には花びらが二、三枚が落ちていた。
 枯れていく花。
 削られていくミルタの命。
(こんな姿、見たら驚くでしょうね……)
 あの夏の日。
 あの時のままでいたかった。
 弱った姿なんて見せたくない。
 けれど。
(それでも)
 会いたかった。
(このまま、約束を果たせないまま私は死ぬの……?)
 兄カーラットや女官長たちが一生懸命自分を生かそうとしていることをミルタは知っていた。
 けれど、ミルタの命の炎はその甲斐もなく少しずつ細くなっていく。
 眠りから目覚めるたびにミルタは自分の命が残り少ないことを実感していた。
 医師はどこも悪くないと言う。
 兄が遣わした魔術師は一様に告げた。
『姫君の魂は欠けているのです。この世界に生きるための繋がりが絶たれてしまっている……。これは人の身では如何ようにもできません。もはや、奇跡でも起こらない限りは――』
 それは真実だとミルタは理解していた。
 倒れた時に感じた喪失感。
 引き裂かれたような痛み。
 失ってしまった、何か。
(これ以上、私は……)
 生きることはできない。
 ミルタの若葉色の瞳が潤む。
(……運命の女神ミフィアディよ、どうか御願いです)
 助かりたいなんて望まない。
 死んだっていいから。
(どうか、あの人に会わせて……)
 叶うはずのない願い。
 誰にも言えない望み。
 それでも、ミルタは祈り続けるしかなかった。
 まともに寝返りさえできない体ではそれしか許されない。
 迫る死への恐怖より切望がミルタの心を支配していた。
 ただ、その時を待って。
 待ち続けて。
 約束を胸に秘めて、ミルタは祈り、願い続けた。




 ふと、眠りの海から目覚めたミルタは、いつもと違い、体に虚脱感がないことに驚いた。
 ゆっくりと瞬いて、ミルタは恐る恐る身を起こした。そして、静かに辺りを見回す。
「……誰か、いないの……?」
 小さな囁きに応える者はいなかった。
 不意に髪がそよいで、柔らかな風が頬を撫でていく。
 首を巡らすと、外に続く硝子扉がわずかに開いており、白いカーテンがふわりと揺れていた。
 カーテンの隙間から明るい日差しが零れていた。
 硝子を通った光は不思議な煌きを持っていた。
 しばらくの間、ミルタはその光景を見つめ続けた。
 静寂に満ちた部屋は現実感がない。まるで、夢のようだった。
 それとも。
(これは夢?)
 ミルタは戸惑い、自分の手を見つめた。
 やせ細った白い手。
 だが、記憶に残るそれより少し肉付きが良くなっている。
 ミルタは淡く微笑んだ。
(これが夢ならば)
 否、夢だからこそ。
(あの人に会える……?)
 ミルタは寝台から降りて立ち上がった。
 少しふらついたが、立って歩くことはできそうだった。
 そして、ミルタは衣装棚から白い服を取り出した。
 薄絹を何枚も重ねた白い衣装。
 あの出会いの日に来ていた思い出深い衣装。
 ミルタはそっと抱き締め、唇を噛み締めた。そして、若葉色の瞳に強い決意の光を宿して、その衣装に着替えた。
 姿鏡で身支度を整え、ふわりと長い裾を翻し、ミルタは開いていた硝子扉から外に出た。
 さくりと土を踏む感触。
 靴の底越しでも伝わってくる暖かさはひどく懐かしい。
 ミルタはゆっくりと逸る心を押さえながら森を歩いていた。
 木々から零れ落ちる光が眩しい。だが、その光は決してミルタを傷つけなかった。むしろ、そっと支えるように、慕うように寄り添い、力づける。
 何度も何度も脳裏に描いた道筋を辿り、ミルタは自分の鼓動が高鳴っていくのに気づいた。
(大丈夫、きっと)
 確信があった。
 彼は絶対に自分を裏切らない。
 たとえ、世界を敵に回したとしても彼が自分を置き去りにするはずがないのだから。
(?)
 ほんの一瞬、ミルタの脳裏に疑問が掠める。
(世界を敵に回す? 置き去り?)
 どうしてそんなことを思うのか自分で不思議だった。
 だが、疑問は次の瞬間視界に広がった光景に忘れた。
「あ……」
 さわさわと風に揺れる白い花の群れ。
 柔らかな日差しに縁取られ、その白さは更に清らかに、汚れない輝きを放っていた。
 ミルタは引き寄せられるようにゆっくりと歩き出す。
 ふわりと長い裾が風にたなびき、白い花房を掠めた。
 そして、ミルタの視線は白い景色の向こうに見える緑の大樹に注がれていた。
 トクントクンと早鐘のように鳴る心臓を抑えるように、ミルタは無意識のうちに手を胸元にやっていた。そして、その手はいつの間にか祈るような形になっていた。
「!」
 不意にミルタの足が止まる。
 大きな、大きな大樹。
 その前――花畑の終わりに『彼』がいた。
 徐々にミルタの若草色の瞳が潤み、唇が言葉を紡ぎ出そうと動くが声は出ない。駆け寄りたいのに、足も動かない。
 そのもどかしさにミルタは唇を噛み締めた。
 そして、そんな彼女の心を察するように彼が微笑みを浮かべた。


「……ル………タ」


 あれほど聞きたいと願った声で名前を呼ばれた瞬間、ミルタは弾かれたように駆け出していた。
 何故、彼が自分の名前を知っているのか疑問に抱く隙間もないほどに嬉しさがミルタの全身を支配していた。
 ただ一つの願い。
 ずっと胸に抱いてきた約束。


『戻ってくるから』


 その時からすべてが始まる。
 名前も想いも。
 言えなかった言葉も伝えたかった言葉も。
 すべては、その瞬間から。


「…………ッ!!」


 ミルタは知っているはずのない名を呼んで、広げられた腕の中に飛び込んだ。




 さわさわと風が吹く。
 蒼い空を白い雲が横切り、大地に影を落としていく。
 光と影が入れ代わる中、はらはらと群生する白い花たちがその短い命を散らしていた。
 風に舞い、大地に降り、すべてを白に一色に覆いつくかのように。




 花の棺に眠る佳人の姿は誰も見つけることができなかった。














あとがき
 ……何を考えていたのでしょう、当時の私。
 確か、ラストシーンを書きたいがための話だったはず。
 白い景色の中で鮮血を滴らせる女が死んでいく。
 その白は雪なのか花なのか、私にもはっきりしませんでした。
 ただ白と赤の印象の強さが残っていました。
 ……書き上げたら、赤はなくなりましたけど。
 そして、大団円が好きな私が珍しく悲恋を書きました。
 この二人は実は幸せにしようと思えば充分なれました。
 それこそ、渋々お見合いをさせ、会ってびっくり、そしてハッピーエンドっていう形で。
 でも、書きたかったのが前述したラストだったので、予定通りに進めました。
 果たして、目的は達成できたのでしょうかね?





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