嘘と  夢と  微笑みと



U




「それで、今度は何?」
 ヒューリアは淹れたての紅茶を一口飲み、隣に座るセレーヌに問い質した。
 二人の目的とセレーヌ自身の仕事が一段落着いたところで、三人は軽い食事を摂っていた。
 刺繍の入った白いテーブルクロスの上には優雅な曲線を描くティーポットが二つ並び、淡い萌黄色で統一された磁器の上には甘さ控えめの焼き菓子が並んでいる。
「え……?」
 小首を傾げるセレーヌに、ルーヴェンが言葉を添えた。
「何を考えていたのか、と訊いているんですよ。私たちが来たことに気づかないくらいとなると興味はありますね」
 ようやく何のことか察した瞬間、セレーヌの頬が薄っすらと朱に染まる。そして、切なげな溜め息を零した。
(あ)
 危険を察したヒューリアが何か言うより先に、セレーヌがぽつりと呟いた。
「……『夜の鳥』を見つけたの」
 思いがけない答えに、ヒューリアは言葉を失う。
(『夜の鳥』……?)
「って、御伽噺の……?」
 唖然となりつつ、ヒューリアは訊き返した。
 外見はどうであれ、セレーヌは仮にも立派な成人女性だ。それが、子どもが信じる御伽噺を現実に見たというのは信じたくない。
(でも、セレーヌならアリかも……)
 親友の性格を思い返し、ヒューリアは脱力した。
「いえ、御伽噺の『夜の鳥』のことではありませんよ」
 ルーヴェンは柔らかく笑いかけた。
「姉上の仰る『夜の鳥』は『秘密の恋人』のことです」
「……は?」
 すっかり意識を別の世界に飛ばしている姉をちらりと見て、ルーヴェンは呆けているヒューリアに視線を戻した。
「『夜の鳥』は必ず夜が明けると時に飛び立つということでしたよね」
「……『夜の鳥』が飛び立つから夜が明けるのでは?」
「どちらにしても同じ意味ですよ。『夜の鳥』は夜明けの象徴、つまり夜が終わると帰ってしまう恋人の隠語です」
 ややあって、ヒューリアは柳眉をひそめた。
「詰まるところ、セレーヌに恋人ができたと?」
「しかも、人目を忍んで会う必要がある相手ということです」
 その瞬間、ヒューリアは頭痛を覚えた。
(またなのね……)
 リラーゼンの優秀な宰相は恋多き夢見る乙女でもあった。
 思わず虚ろな眼差しで遠くを見るヒューリアを知ってか知らずか、ルーヴェンが暢気に紅茶を飲んで呟く。
「四十七回目でしたっけ?」
「いえ、四十九回目です」
 ヒューリアの即答に、国王は水色の瞳を軽く瞠った。
「あれ、四十七回目って、いつでした?」
「約二週間前、外交で来られたヒルデ大使の通訳でした」
 ちなみに、その恋は三日間で終わった。
 何のことはない。帰国したのである。
「では、四十八回目は?」
「一週間前、夜会に呼ばれた吟遊詩人」
「……あぁ、確か、翌日、どこぞの子爵令嬢と駆け落ちしたとか」
 と、いうことは、だ。
 少なくとも、一週間以内に『夜の鳥』を見つけたということになる。
 さすがというべき遍歴に、ルーヴェンは感心して頷く。
「我が姉ながら、華々しいですねぇ」
 思わずヒューリアは頷いていた。
 不意に、ルーヴェンがくすりと笑う。
「何か?」
 怪訝そうに見やると、ルーヴェンは益々笑みを深くした。
「いえ、実に不思議だと。姉はこれほどに恋多き人間なのに、その親友である貴女はたった一度だけなんですよね」
 ヒューリアはかすかに柳眉をひそめた。
「どういう意味ですか?」
 ルーヴェンはにっこりと笑った。
「エドヴィスの父親のことですよ」
 息子の名を出され、一瞬言葉を失うが、次の瞬間、ヒューリアは苦笑する。
「陛下」
「はい?」
 そして、ヒューリアは不敵に微笑んだ。
「そういった私的な事柄は黙秘させて頂きます」
 言い放ち、ヒューリアはティーカップの中身を飲み干す。そして、席を立とうとした。
「さて、私はこれからハンフィー領に行くことになっているので、ここで失礼します」
「ハンフィー領?」
「……最近、武器を買い漁っているという情報があったわねぇ」
 ぼんやりとした調子で呟いた姉に、ルーヴェンは何か物言いたげな眼差しを送る。そして、心配そうな表情で、ヒューリアを見つめた。
「あまり、無理はしないで下さいよ」
 その言葉に、ヒューリアは小さく笑う。
「別に戦いに行く訳ではありません。ただの牽制ですから」
 ただし、何が起こってもいいよう選りすぐりの精鋭部隊が同行する。
 強気な発言に、ルーヴェンは力なく笑う。
「実に『野薔薇候』らしいお言葉で」
 小さな呟きを上手く聞き取れず、ヒューリアは小首を傾げた。
「……ヒューリア」
 唐突にセレーヌがヒューリアを呼んだ。
「何?」
「……ハンフィー領は絹の産地なの」
 しばし、沈黙し、ヒューリアは軽く両手を上げる。
「分かった。戦場にして、せっかくの絹を台無しすることはしない」
 しかし、夢に浸る宰相はうっとりとした表情のまま、かぶりを振った。
「?」
「お土産は、ゲイトリーデ織りの絹のハンカチね」
「…………」



V




 かたんと小さな物音がした。
 その音を待ち侘びていたセレーヌは夜着の上に乳白色のガウンを纏い、窓辺に向かった。
 大きな窓は扉のようになっており、その向こうは露台となっている。
 カーテンを軽く引くと、月の薄明かりを背にした男が立っていた。
 その顔を見て、セレーヌは嬉しそうに微笑んだ。
「イルクス」
 囁くように『夜の鳥』の名を呼んで、鍵を開けて硝子窓をそっと押し開ける。
「セレーヌ……」
 吐息と共に呼ばれたセレーヌはそっと身を寄せる。
「良かった。今夜も来てくれたのね」
「当たり前だろう。本当はずっと側にいたいくらいなのに」
 思わず、頬が朱に染まり、それを隠そうとセレーヌは顔を伏せる。だが、代わりに、『夜の鳥』に腕を回した。
 ただ無言で強く抱き合うだけで、全身を満たす幸せにセレーヌの水色の瞳は潤んでくる。
 彼との出会いは偶然、否、運命だったのだと彼女は信じていた。
 ある日、擦れ違った。
 何もなければ、そこで終わりだった。
 だが、セレーヌの髪が彼の服の釦に引っかかり、それが彼と言葉を交わす始まりとなり、この恋が始まった。
「ずっと一緒にいられたらいいのに……」
 ぽつりと呟いた自分の言葉に、セレーヌは唇を噛み締めた。
 王女として生まれた以上、政略の駒となるのは当然だと教えられた。
 それが嫌で、即位を拒み、宰相となる道を自ら選んだ。それは間違いだったとは思わない。
 現に責任と共に自由を手に入れた。
 今では誰もセレーヌを駒として扱わない。否、逆に扱う側になったくらいだ。
 そんな自分に嫌悪感を覚える時もある。だが、そういう時、ヒューリアが決まって言ってくれるのだ。
『私はセレーヌが不幸になる方が嫌だから』
 そして、彼女は剣を手に血に塗れるのだ。
 軍閥貴族の流れを組むとはいえ、女性の身で剣を手にしたヒューリアを蔑む人間は多い。
(だけど)
 セレーヌは知っている――ヒューリアが戦うのは守るためだと。
 弟ルーヴェンと王位を争う形になり、暗殺者によって命の危険に晒されたセレーヌを守ったのはヒューリアだった。
 その厚意に報い、自身を守るため、セレーヌは宰相という地位を望んだのだ。
「ごめんなさい……」
「セレーヌ?」
 訝しげな声音に、セレーヌは小さくかぶりを振った。
 自ら望んだことなのに、イルクスがセレーヌを排除しようとする貴族に仕えている事実が彼女を迷わせていた。
(私が宰相でなければ……)
「セレーヌ……?」
 零れそうになる涙を堪え、セレーヌは愛しい『夜の鳥』を見つめた。
 その瞬間、イルクスは苦しそうな表情を浮かべた。
「そんな顔をしないで欲しい」
「ごめんなさい……」
「――ごめん」
 思いがけない謝罪の言葉にセレーヌは軽く水色の瞳を見開いた。
「どうして、貴方が謝るの?」
「セレーヌを悩ませているのは私のせいだから……」
「いいえ。いいえ、いいえ!」
 否定の言葉を繰り返し、セレーヌは涙を零した。そして、微笑みを浮かべてみせる。
「私は貴方に会えて幸せなのだから」
 セレーヌの言葉にイルクスは何か言おうとして口を開く。だが、言葉は音にならず、代わりに華奢な体を強く抱き締めた。
「セレーヌ」
 ややあって躊躇いがちにイルクスは話し始める。
「イルクス?」
「私と一緒に逃げよう」
 絞り出すような声音にセレーヌの体は硬直した。次いで、全身に震えが襲ってくる。
 それが喜びのためか恐れのためか、セレーヌが判断するより先に、イルクスは更に言葉を重ねた。
「私と一緒に行こう」
 夢のような一言だった。
 まるで、学院にいた頃呼んだ恋物語に出てくる言葉のようだった。
 そして、陶然となったセレーヌは自分がどう答えたのか覚えていなかった。気づいたら、彼女はイルクスと共に深い闇に包まれた森の中を進んでいた。
 雲に隠れては姿を見せる月の輝きはぼんやりと周囲を浮かび上がらせるだけで、闇を逆に色濃く見せている。
 頼れるものは、一つの角灯と、導く暖かな手だけ。
(私……)
 胸が熱く、鼓動が強く打っている。
 夜の空気は冷ややかだが、セレーヌはふわふわと地に足が着いていないような気分で、イルクスの背を見つめた。
「この辺りでいいだろう」
 不意に呟いて、イルクスはセレーヌの手を離した。
「イルクス……?」
 セレーヌの訝しげな問いに、イルクスは困ったような微笑みを浮かべた。そして、ゆっくりとセレーヌから距離を取っていく。
「どうしたの、イルクス?」
「――ごめん、セレーヌ。やはり、私は主を裏切られなかった」
 その瞬間だった。
 イルクスの背後の闇で幾つもの明かりが灯り、数人の男たちが現れた。
「ッ!?」
 不穏な気配を感じ、セレーヌは後ずさる。そして、背が木の幹に当たった瞬間、イルクスの言葉を反芻し、事態を理解した。
「イルクス、貴方……」
 セレーヌの言葉は涙に濡れていた。
 その姿を傷ましそうに見つめ、イルクスは小さくかぶりを振った。そして、そのまま軽く手を上げる。
 明かりを持っていない男たちが矢を番えた弓を構えた。
 鏃が狙う先は、月の薄明かりに照らされたセレーヌの体。
「!」
「さようなら、セレーヌ。君が宰相で主と敵対さえしてなければ本当に一緒に逃げたかったよ」







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