嘘と  夢と  微笑みと



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「ねぇ、まだ起きてる?」
 小さな呼びかけに、毛布に包まっていた彼女はかすかに動いた。
「……起きてる」
 隣の寝台で体を起こす気配がした。
「そっち、いっていい?」
 その言葉に彼女は寝返りを打った。
 窓のカーテンの隙間から覗く月光にぼんやりと浮かび上がる一人の少女の影。
「いいけど」
 彼女の返事に少女は動いて、その隣に横になった。
 さらりと少女の癖のない髪が流れる。
(羨ましい……)
 彼女の少々癖がある髪はすぐに乱れて絡まる。短ければ、まだマシだろうに、彼女の髪は腰に届くほどに長かった。
 世間では女性は髪を伸ばすことが常識なのだ。
 以前、髪を切りたいと訴えたところ、相手は冷淡に告げた。
『では、修道女にでもなりますか』
 髪は女の命。
 髪を切るということは女であることを捨てること。
 神に生涯を捧げる修道女や罪人でもなければ切るということはありえない。
 彼女は自らが女であることに固執する気はなかったが、修道女などという退屈且つ不自由極まりない人生を選ぶ気はもっとなかった。
「ねぇ、聞いてる?」
 拗ねたような声に、彼女は我に返る。
「え、あ、ごめん」
「もぅ……だからね、『夜の鳥』の話って知ってる?」
「夜の鳥?」
 怪訝そうな声に、隣の少女がくすりと笑った。
「梟のような夜行性の鳥じゃないわよ」
「……だったら、知らない」
「昔ね、お祖母さまから聞いた話を思い出したの」
「それが『夜の鳥』?」
「そう。……世界には『夜の鳥』がいて、この夜の闇は『夜の鳥』が翼を広げて飛び立とうしているからなんですって。それで、『夜の鳥』が飛び立つと夜が明けるそうよ」
「それで終わり?」
「これで終わりよ」
 彼女は思わず溜め息を零した。
「……ただの御伽噺じゃない」
「そうよ」
 悪びれた様子もなく答える少女に、再び彼女は溜め息を洩らす。
「ほらほら、もう寝る。明日だって朝から授業なんだから」
 掛布を掛け直して、彼女は少女に寝るように促した。


■     ■     ■



 リラーズ暦六七七年、リラーゼン王国は改革期を迎えた。
 この発端は七代国王フィゼスの急逝より始まった。彼には三人の子どもがいた。
 長子アルート。
 長女セレーヌ。
 末弟ルーヴェン。
 本来なら、第一王子であるアルートが父フィゼスの後を継ぐはずだったが、母親が側室であったために、正室の母を持つセレーヌとルーヴェンとの後継者問題が発生したのである。
 対立をしたのは正室側の者たちと、彼らに対抗する者たちであった。
 そして、泥沼化しつつある状況で、長子アルートが突然の失踪をしたのである。フィゼスの死はこの事件の直後に起こった。
 当時、宮廷では正室側の謀略ではないかと囁かれたが、確たる証拠もなかったため、王位は第一王女であるセレーヌが継ぐ流れとなった。
 だが、そこで事態は意外な展開を迎えることとなる。
 セレーヌは即位を拒み、自らを宰相とし、国王となる弟ルーヴェンを補佐すると宣言したのである。
 これには宮廷の誰もが猛反対した。
 しかし、セレーヌの幼馴染みであり、学友であるフィルスタッド侯爵夫人ヒューリアの支援により、世界にも珍しい女宰相が誕生したのである。
 ヒューリアの嫁ぎ先であるフィルスタッド家が名門の軍閥貴族であったことが大きな原因だった。
 当初、王女としての教育しか受けていないセレーヌに政治家としての才能を誰も求めようとしなかった。それどころか、失態を理由に辞職させようと考える輩の方が多かっただろう。
 だが、彼らの思惑は大きく外れ、王女は見事な才能を発揮し、長い間、保留となっていた関税問題から、治水や外交問題を解決していったのである。
 慌てたのはそれまで政権を握っていた中枢貴族であった。
 彼らは一連の流れでセレーヌの後見となっていたフィルスタッド家に訴えるが、それに対する満足な反応はなかった。
 そして、現実は更に拍車がかかることになる。
 フィルスタッド侯爵レクセンが突然引退し、その後を妻であるヒューリアが継いだのである。
 元々、ヒューリアはレクセンの従妹で、継承権を持っていた。
 驚く暇もなく、女宰相に続いて、リラーズ暦六七八年、女侯爵、同時に女将軍が誕生したのである。
 それまで女性の立場は男性に比べて、家における地位しか持ち得なかった。だが、彼女らが徹底して実力主義を貫いた結果、リラーゼン王国では才能ある女性たちが活躍することとなったのである。


■     ■     ■



 長く続く廊下を歩きながら、ヒューリアは前々から考えていた疑問が再び浮かんでくるのを感じた。
 この廊下に敷かれた絨毯はいらないのではないかと。
(……絨毯だと足音を吸収するのよね)
 宰相と言う地位に就く以前から、ヒューリアの親友は命を狙われてきた。
 それもこれも、全く、何があっても、絶対に、親友が望むはずのない王位のせいで。
 確固たる地位を得て、高い評価を受けている現在は少なくなったが、もう一度警備を見直す必要がある。
 そう判断し、ヒューリアは機会があったら話そうと決意した。
 とりあえずは先に片付けなければならないことがある。
 颯爽と歩いていくヒューリアを見て、擦れ違う人々が思わず感嘆の息を零した。
 非常に失礼極まりない話だが、初対面の女性の価値を決めるのは容貌である。後になって、内面で評価が変わるだろうが、第一印象というのは後々になっても尾を引く。
 その点、ヒューリアは得をしていた。
 緩く波打つ、長い黒髪は冬の夜空のように艶やかで、瞳は正に夜明けの空の如き澄んだ紫色。凛々しい玲瓏とした容貌は冷ややかとさえ受け取れるが、細身の剣を佩き、男装を纏っている今の姿ではむしろ麗々としており、感嘆の対象になっていた。
 だが、夫の爵位を継ぐと同時に将軍位も継いだヒューリアだったが、万人の思惑を裏切って、『飾り』にはならなかった。
 後に、『姫宰相』は語った――「彼女に勝てる男はリラーゼンにはいなかった」と。
 実際、細身の剣を腰に佩き、慣れた様子で歩く様は日常であることを示していた。
 ヒューリアの目的の部屋に着き、扉を叩こうとした。
(手が空いているといいんだけど……)
 部屋の主はセレーヌ・リラーザル。
 今、王国でもっとも多忙な女性の代表だ。
 扉の叩く、軽い音がしてから大分経っても返事はない。
「?」
(おかしいわね。不在ではなかったはずだけど……)
 さては何かあったか。
 ヒューリアの表情がわずかに強張る。
 だが、次の瞬間、ドアノブが回り、ゆっくりと扉が開いていく。
 ヒューリアはそっと腰にある剣の柄に触れた。
「……あぁ、ヒューリア殿でしたか」
 扉の向こうから現れたのは淡い金色の髪と水色の瞳に優しげな容貌の人物。だが、ヒューリアが予想していたより若いし、背も高い。
(ていうか、男だし)
 いや、それよりも。
「……陛下?」
 わずかに驚愕に震えたヒューリアの声に、相手はにっこりと微笑み、いそいそと彼女を招き入れる。
「まぁ、とにかく入って。いつまで、そこまでに立っていると変に思われるから」
 部屋に半ば押し込まれながら、ヒューリアは憮然となる。
 少なくとも、国王が護衛も従者すら付けず、姉とはいえ他人の部屋にいることの方が変ではなかろうか。
(ていうか、セレーヌは……?)
「ちょうど良いところに来てくれました。少し困った事態になっていまして」
 若い国王の言葉に、ヒューリアは我に返った。
「――何か、問題でも?」
 しかし、国王は淡く微笑み、軽く肩を竦めてみせるだけだった。
 その姿が親友と同じことに気づき、ヒューリアは嫌な予感に襲われた。
 国王ルーヴェンとセレーヌは異母姉弟である。だが、セレーヌの母である正妃が亡くなり、代わりに正妃として嫁いだのがその妹であったため、二人は同母の姉弟同然だ。
 非常によく似ている――おそらく、その性格も。
 国王に無言で促されるまま、ヒューリアが視線を移すと、窓辺に腰掛けて外を眺めている一人の小柄な女性がいた。
 ヒューリアと同じ年のはずだが、いまだ少女の雰囲気を持ち、癖のない淡く長い金髪をそよ風に揺らし、水色の瞳は夢見がちに潤んでいた。
(こ、これは……)
「陛下……」
 ヒューリアは状況の説明を求めて、国王に呼びかける。
「私が呼んでも全く姉上は反応しないんですよ。でも、親友の貴女なら、大丈夫かと思って……」
 反応がない。
 その答えに、ヒューリアは思わず眩暈を覚えた。そして、軽く頭を振り、意を決して口を開く。
「セレーヌ」
 強い響きの声音はよく通っていた。しかし、呼ばれた当人の耳には入らなかったようだ。
 しばらく、無反応のセレーヌを観察し、ヒューリアは不意に薄く笑う。そして、まるで戦いに赴くような緊張感さえ湛え、国王に許しを請うた。
「陛下、この事態を解決するため、多少の無礼は許して頂きます」
 国王はどこかぼんやりとした様子でヒューリアを見つめ、緩慢な動きで頷いた。
「あぁ」
 軽く目礼し、ヒューリアは一歩セレーヌに近づいた。
「……そういえば、セレーヌ、覚えているか? 音楽室であったこと」
 ぴくりと震える細い肩。
「あの時は、さすがの私も本当に驚いた。貴女のことは誰よりも知っているつもりだったけど」
 ぴくぴくとヒューリアの一言一言に反応する姉の様子に、その弟は興味深げに見つめた。
「あぁ、侮っていた。貴女の覚悟がそこまでだったなんて、今更だけど謝らせて欲しい」
 機械仕掛けの人形のように、セレーヌはゆっくりと振り返った。
 その顔は強張り、青ざめていた。かすかに浮かんだ笑みは今にも泣き顔に変わりそうだ。
 ヒューリアはにっこりと微笑んだ。
「見事だった、貴女の」
「嫌、止めて止めて止めて、止めて――ッ!!」
 セレーヌは目にも止まらぬ速さでヒューリアに跳びかかり、その口元を抑えようとした。
「嘘でしょ!? あの時、いたの!?」
 セレーヌの手を避け、ヒューリアはにっこりと満面の笑みで答えた。
「いた、実は」
「し」
 水色の瞳に涙が浮かび、蒼白だった顔が今度は真っ赤に染まっていく。
「信じられない――ッ!! どうして黙っていたのよ!?」
「言っても良かったのか?」
 その瞬間、セレーヌは口ごもる。
「………………ダメ」
「だろう?」
 にこにこと笑いながら、ヒューリアはセレーヌの手から離した。
「でも、時効よ。あれは時効だわ。何も今持ち出すことなんてないじゃない」
 拗ねた表情で訴える親友に、ヒューリアは呆れた。
「だったら、ぼんやりしない。私が来なければ、陛下の不在で大騒ぎになるところだった」
「え?」
 不思議そうに目を瞬かせ、セレーヌはようやく弟の存在に気づいた。
「ルーヴェン?」
 国王は苦笑しながら、頷いた。
「姉上にはご機嫌麗しく……」
「あ、あら? あらら?」
 ようやく状況を察したらしいセレーヌにヒューリアは溜め息を吐いた。
「まあ、とにかく、こちらに陛下にいらしたのは好都合です。近々控えている陛下の成人の儀における警備について幾つか確認したい事項があって来たので」
「おや、偶然ですね。実は私も、その儀式の手順で質問があったのですよ」
「……あ、あら、じゃあ、丁度良かったじゃない」
 取り繕うセレーヌの言葉に、ヒューリアと国王は同時に溜め息を吐いた。
「セレーヌ」
「姉上」
「………………はい、ごめんなさい」







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