唇を噛み締め、セレーヌが表情を引き締めた瞬間だった。 空を斬る弓鳴りの音が連続して響いた。 「なっ!?」 覆面の男たちの手から弓矢が滑り落ち、次々と倒れていく光景にイルクスは驚愕の声を洩らした。視線を落とすと彼らの腕には矢が刺さっている。 転がり落ちた拍子に男たちの持っていた角灯の明かりが消えていく。 何が起こったのか理解できず、イルクスが立ち尽くした。 「――これで気が済んだか、セレーヌ?」 玲瓏とした声に打たれ、イルクスは視線を巡らした。 「!」 茂みの奥から静かに現れたのは弓を構えた男たちと、彼らを従える男装をした黒髪の美女。 「お前は……『野薔薇候』!?」 イルクスの叫びに、黒髪の美女――ヒューリアは柳眉をひそめ、鋭い一瞥を与えた。 「お前如きに『お前』呼ばわりされる覚えはない」 次の瞬間、イルクスは我に返り、セレーヌの腕を取り、背後に回る。そして、短剣をセレーヌの首元に当てた。 「それ以上、動くな!!」 ヒューリアは素早く腕を上げて、動こうとしていた部下を制する。そして、ゆっくりとイルクスとセレーヌを見やった。 「……幸運と言うべきでしょうかね、『野薔薇候』まで『処理』できるとなれば」 薄い笑みを浮かべ、イルクスはちらりと視線を仲間にやる。 無言で促され、覆面の男たちは傷ついた腕を抱えながら密集隊形を取った。 それを見て、ヒューリアは大きな溜め息を吐く。 「……セレーヌ、まだ悲劇の主人公を気取りたいか? そろそろ、私は付き合っていられないのだが――」 思いがけない言葉に、イルクスは絶句する。 「ヒューリアったら、仕方ないわね……」 拗ねたような表情で答えるセレーヌに、人質となっている様子は全くなかった。 再び、ヒューリアは溜め息を吐く。 「どっちが仕方ないんだか――」 小さな呟きが夜の静寂に溶けて消える、その瞬間。 月が雲に隠れた。 一瞬の、完全な闇。 「ぐ!?」 その瞬間、間近で聞こえた呻きにイルクスは息を呑む。 「うぁッ!」 次々と人が倒れていく気配。 じわりとイルクスは額に汗を滲ませ、視線を凝らした。だが、見えるのは闇のみ。 「くそッ!」 舌打ちし、イルクスは暗闇の中では人質どころか足手纏いになるセレーヌを突き放した。 「きゃあッ!」 短い悲鳴を上げて、セレーヌが地面に倒れ込む。 イルクスは幹を背にして、背後からの襲撃を塞ぐと、忙しく視線を周囲に動かした。息と気配を殺し、暗闇に目を慣らして逃亡の隙を窺う。 その瞬間、イルクスは闇の中に一瞬だけ煌くものを視界に捉えた。 「ッ!」 咄嗟に、身を捻ると同時に幹を引っ掻くような音がした。 音もなく、雲が動き、夜空に再び月が現れる。 態勢を崩したイルクスの目の前に、細身の剣を振り上げたヒューリアが立っていた。 「!!」 そして、躊躇いもなく、ヒューリアは腕を動かした。 しかし。 「止めて、ヒューリアッ!!」 鋭い制止の声に、ヒューリアの剣は止まった。 「……」 紙一枚の隙間を残して目前で止まった剣に、イルクスは思わず強張っていた全身から力を抜く。 「この期に及んで、まだ未練でもある?」 振り返りもせず、ヒューリアはセレーヌに問い掛けた。 ヒューリアの部下に助け起こされながら、セレーヌは答えた。 「イルクスは私の大切な人よ」 そして、倒れた際に付着した土を払いながらセレーヌは続けた。 「だって、イーザン伯爵の陰謀を明らかにする生き証人よ?」 「――――生き証人、ね」 剣を伝う真紅の雫がイルクスの顔にぽたりと落ちた。 ヒューリアはしばし無言でイルクスを眺め、やがて部下たちに命じた。 「この者から武器を奪え。それから、何か縛るものを――」 ふと、わずかに視線を動かしたイルクスは再び絶句する。 覆面の男たちはすべて一撃で絶命していた。 急所を狙った、容赦のない剣筋。 それが誰の仕業が考えるまでもない。 そして、セレーヌの言葉。 唇を噛み締め、イルクスは低く呻いた。 「罠に嵌めたつもりが、嵌められたのはこちらだったということか……」 その呟きを聞き咎め、ヒューリアは剣を突きつけたまま、にっこりと笑った。 「一つ、良いことを教えてやろう」 そして、ヒューリアは宣言した。 「男は騙すのが上手いかもしれないが、騙される振りをするのは女の方が得意なんだぞ?」 「で、つまり、何ですか? 最初から暗殺されることを分かっていて『夜の鳥』にしていたんですか?」 呆れ切った声音で尋ねたのは、すべてが終わった後でことの次第を知らされた国王だった。 「いいえ?」 意外そうな表情でセレーヌは否定した。そして、薄く瞳を伏せる。 「彼が私の暗殺を考えているかなんて、私は考えもしなかったわ」 「じゃあ、ヒューリア殿が?」 話しを振られ、ヒューリアは口元に持っていっていたティーカップを離す。そして、小さく笑った。 「『夜の鳥』のことも知らなかった私が、ですか?」 「これは失礼。では、やはり、姉上?」 再び、ルーヴェンに問われ、セレーヌは静かに微笑んだ。 「ねぇ、ルーヴェン? 敵同士の男女の恋、夜更けの逃亡だなんて、まるで恋物語そのものでしょう?」 そして、セレーヌは一口お茶を飲んだ。 「女主人公は恋人の裏切りなんて考えないものよ?」 その瞬間、ルーヴェンの顔から表情が抜け落ちた。ややあって、脱力した声音で呟いた。 「……やっぱり、知っていたんじゃないですか」 「知っていたというのは語弊だわ。私は恋人に裏切られた、可哀想な女よ」 「本当に、その恋人が好きだったんですか、貴女は」 思わず、半眼でルーヴェンは尋ねていた。 「ひどいことを言うのね。私はこんなに傷ついているのに……」 そのまま、泣き崩れそうな風情で、そっと目尻を拭うセレーヌ。 その姿を見て、ヒューリアは無表情に評した。 (迫真の演技ね) そして、ヒューリアはこちらを見つめてくるルーヴェンに気づいた。 「ヒューリア殿?」 短い言葉で真偽を問う国王に、ヒューリアは溜め息を吐いて、ティーカップをテーブルの上に置いた。 「陛下、私は本当に今回のことは知りませんでした。ただ、セレーヌが本当に逃亡する気なら、護衛は必要だと判断しました」 「え?」 不思議そうな顔になるルーヴェンに、ヒューリアは淡々と答えた。 「セレーヌは今も命を狙われていますから」 『夜の鳥』――秘密の恋人。 王女であり、宰相である立場と、夢見がちなセレーヌの性格。 そのすべてを踏まえると、逃亡という結論に達するのは簡単だった。だが、セレーヌの身はいまだ暗殺の対象だ。敵が誰であろうと、厳重に警備された城を出る行為は危険だ。だから、ヒューリアはハンフィー領を部下に任せ、セレーヌを見守ることにしたのだ。 その行為自体をヒューリアが止めなかったのはセレーヌが恋物語のような『恋愛』を現実に求めていることを骨身に染みていたからだ。 (止めて聞くような性格じゃないし) 何せ、好きな人の花嫁になりたいがために王位を拒むセレーヌだ。 国王は『花嫁』になれても、『好きな人の花嫁』になることは不可能に近い。ただでさえ、王女という、心に沿う相手と結ばれることが難しい立場なのだ。 だが、それでも、セレーヌは自らの夢を手放さない。 (だから、私はセレーヌが好きなのだけど) 心の中で呟いて、ヒューリアはルーヴェンへと説明を続けた。 「ハンフィー領の不穏な噂はただの流言と確定していましたし」 「じゃあ、何故、わざわざ行くことになったんだ?」 「……公けにできない情報源からだったので」 淡々とした言葉にルーヴェンはなるほどと頷いた。 「で、もし、本当に姉上が城を出ることになったら、貴女はどうする気だったんですか?」 その問いに、ヒューリアは小さく笑った。 「さぁ? 宮廷を辞して、一領主にでも落ち着いていたのではないですか」 「え!? 都を去る気でいたんですか?」 大きな驚きを見せる国王に、ヒューリアの方が驚いた。 「それは、まあ、当然かと……」 宮廷におけるヒューリアの力は軍閥貴族であるフィルスタッド家の後ろ盾と、セレーヌの信頼、そして、彼女自身の実力から成り立っている。そのどれか一つ欠けても意味がない。否、意味がないというよりは隙と成り得ると言った方が正しいだろう。 「元々、宮廷は私の居場所ではありませんから」 権力に固執する気は毛頭ない。 「いいえ」 不意に届いた強い声音に、ヒューリアは小さく驚いて若い国王を見やった。 ルーヴェンは今まで見たことのない真面目な顔でヒューリアの手を取った。 「居場所ならあります」 「……陛下?」 怪訝そうにヒューリアはルーヴェンの顔と手を見比べる。 その視線を受けて、ルーヴェンの手に力が籠もった。 「ヒューリア、私は」 「母上っ!」 扉を開ける大きな音と共に届いた幼い声に、ヒューリアは驚いて立ち上がる。 「エドヴィス!?」 するりとルーヴェンの手から逃れ、ヒューリアは駆け寄ってくる子どもを抱き止めた。 「おかえりなさい、母上!」 満面の笑みでにっこりと笑う顔はまるで少女のように愛らしい。 「……お前、どうして、城に」 ふんわりと青い瞳を細めて、黒髪の少年は答えた。 「セレーヌ様に呼んでいたただいのです」 「セレーヌ……?」 茫然と首を巡らすと、幼馴染みの親友は柔らかな微笑みを浮かべていた。 「だって、随分と長い間屋敷に帰ってないのでしょう?」 「母上母上っ」 袖を何度も引かれて、再びセレーヌは視線を落とした。 「今日は夕食をご一緒できるんですよね?」 期待に満ちた眼差しに、ヒューリアは固まる。 (いや、でも、仕事が……) 「もちろんよ、エド」 答えを躊躇っているヒューリアに代わって、セレーヌが肯定した。 「誰かがダメだと言っても、宰相の私が許したと仰いな」 「ありがとうございます、セレーヌ様」 (こら、ソコ、勝手に答えるんじゃない) 内心、突っ込みつつ、ヒューリアはしがみついて離れない息子を見て、やがて笑みを浮かべる。 「迎えに来てくれてありがとう、エド」 「母上」 そして、ヒューリアは国王と宰相に向き直った。 「それでは、私はこれにて失礼させていただきます。陛下、お話の続きはまた後日で宜しいでしょうか」 ルーヴェンは妙にぎこちない笑みを浮かべていた。 「……えぇ」 「そうそう、大した内容ではないから」 横から口を挟んだセレーヌに、弟はぐっと言葉を飲み込んだ。 何やら漂い始めた不穏な空気に戸惑いつつ、ヒューリアは無言で急かす息子に負け、一礼して退出する。 やがて、二人が扉の向こうに消えた瞬間、室内の空気は一気に変わった。 「……姉上、よくも邪魔してくださいましたね?」 薄い笑みを浮かべて問う弟に対して、姉は余裕の笑みで応じた。 「どさくさに紛れて、毒牙にかかりそうな親友を見捨てることなんて、私にはできないもの」 「……ほう、毒牙」 セレーヌは婉然と微笑む。 「国王の誘いを断る女性なんていないのだから、相手は他にして」 「まさか、興味本位で彼女に近づこうとしているなんて思っていませんよね? それだったら、心外です」 「まあ、興味本位だったら、殴り飛ばされて終わりでしょう?」 にっこりと微笑みかける姿はまるで天使のようだった。 「姉上」 「とにかく、ダメなものはダメ。仮にも、ヒューリアは人妻なのよ」 「私の立場となれば、あまり関係ありません」 不義密通は極刑に値する罪。妻となった女性は貞淑を求められている。だが、唯一、例外なのが国王との関係なのだ。 逆に自ら妻を差し出す貴族さえ存在する。何故なら、それによって国王の信頼を得たり、見返りとして望む地位を許されることがあるためだった。 差し出される妻たちも正式に婚姻を結んだ訳ではないが、国王の子を産み、その子が即位することになると女性でも宮廷における権力や富が約束されている。 ましてや、現在、国王であるルーヴェンは独身だ。 縁談も多いが、そういった誘いも多い。しかし、当の本人は全く興味を示さず、浮いた話は一つもない。 もっとも、叩けば埃が出る身かもしれないが。 言外に国王である特権を示すルーヴェンに、セレーヌは柳眉をひそめた。 「貴方、まさかとは思うけど、だから即位したと言うんじゃないでしょうね?」 「何を言うかと思えば」 国王はにっこりと笑った。 「当たり前でしょう? 当時、偽装とはいえ彼女は既婚者でしたから」 「ルーヴェン」 「言いませんよ、誰にも。ただ、私はずっとあの人を見ていましたから、分かっただけですし」 そして、ルーヴェンは軽く肩を竦めた。 「それに、前フィルスタッド公に何を見返りにしたかも分かりませんし、まあ、兄上がご存命で幸せなんだなと思うくらいで」 そして、冷ややかに見つめてくるセレーヌに、ルーヴェンはにっこりと微笑んだ。 「嫌だな、そんな顔をしないで下さい。私が誰の弟だか知っているでしょう?」 苦々しげにセレーヌは口元を歪めた。 「嫌だわ、貴方って本当に私に似ているのね」 その瞬間、国王は笑い出す。 「とにかく! ヒューリアには手出しさせないから」 力強く宣言すると、セレーヌは立ち上がり、部屋を出て行く。 残されたルーヴェンは肩を震わし、笑いを堪えながら呟いた。 「女同士の友情って、手強いなあ……」 |
コメント テーマは「よるのとり」と「女の子の友情物」。 前者はクリア。しかし、後半は……? お、女の子って言える年齢でしょうか、この二人。<汗 そして、異様に設定に凝っています。 裏設定だけで後二本は書けますね。 王位を巡る一連の騒動、そしてエドの父親。 謎を残しつつ、とりあえず、終幕です。←待て ごめんさない、風伯姫さん! こんなものしか書けませんでした〜っ!! |
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