月の残る夢

銀月 愁稀


 二年前の今日、私の双子の姉真緒(まお)が死んだ。
 真緒は聡明で明るく、社交的で、周囲にはいつもたくさんの人がいた。内向的で人見知りの激しい私を真緒はずっと守ってくれていた。
 友人はみんな真緒を通して。
 外出はいつも真緒の誘いで。
 私の世界はすべて真緒から成り立っていた。
 その真緒が死んで、同じ車に乗っていた私だけが助かった。
 誰も直接口には出さなかったけれど、葬式に来たみんなが真緒ではなく私が生き残ったことを残念に思っていた。
 例え、誰が思わなくても私が思っていた。
 真緒がいたから私は周囲に認められていたのだから。
 真緒という光を失って私という影が存在していけるはずがなかったから。でも、私は真緒の後を追って死ぬ勇気もなく、何より生きたかった。
 だから、私は家を出た。
 真緒のいない生活を、真緒のことを誰も知らない場所で、独りで生きていくために。
 すべてを真緒に頼っていたから、随分苦労して、気付いたら二年経っていた。
 そして、今、私は事故以降初めて真緒が死んだ場所に来ていた。
 近くまで電車で来て、歩いてきたから辺りはすっかり真っ暗だった。
 海沿いを走る道路から少し外れたところにある、切り立った崖。
 目の前に広がるのは同じ色をした空と海。
 ただでさえ細い下弦の月だというのに雲に隠されて星すらない。
 深い深い、闇。
 聞こえるのは潮騒と海風の音。
 私は持って来た花束を真緒の命を奪った海に向かって投げた。
 白い花束は風に花びらを散らせながら、闇に沈んでいく。
 ゆっくりと、ゆっくりと闇に溶ける白い色が――まるで鏡に映したように私と同じ姿の女性の影に重なった。
 私は目を見開き、食い入るように闇を見つめた。
 しかし、一瞬の幻は蘇らない。
 溜め息を吐いて、帰ろうとした瞬間だった。

(――…緒)

 潮騒に紛れて消えそうな声だった。
 思わず振り返ると、闇の中に白いサマードレスを着た『私』が浮かんでいた。
 白いサマードレス――それは二年前に、お揃いで買ったもの。
 あの日、私たちが着ていたもの。
「…緒?」
 私の掠れた呼びかけに『私』が今にも泣きそうな顔で静かに両手を差し伸べる。
 それに引き寄せられるように私は手を伸ばしながら歩き出した。
 自然と微笑みが浮かんでいた。
「迎えに、来てくれたの?」
 そして、手が重なろうとした瞬間。
「実緒(みお)っ!!」
 叫びと同時に腕を掴まれ、勢い良く後ろに引っ張られる。
「何してるんだ、死ぬ気かっ!?」
 怒鳴られて私はようやく相手が誰か気付いた。
「ひ、ろかわ先輩?」
 二年前、真緒の葬式で会ったきりだった大学のサークルの先輩。
 真緒の、好きだった人。
「いくら双子だからって命日まで同じにする気か?」
「だって……」
「だって、じゃない。そんなこと真緒が許すはずないだろ?」
「!」
 その言葉に私は胸の痛みを覚えた。体中から力が抜けて立つことが出来ず座り込んでしまう。
「――嘘だわ。だって、真緒は私を憎んでるものっ!!」
「なっ!?」
 今まで思い出さないようにしていた記憶が蘇る。
「花火大会の時、真緒は見ていたの」
 それは事故の数日前だった。
 サークルの皆で計画して見に行った花火大会。
 そこで私は先輩に告白された。
 嬉しかった。
 私も先輩が好きだったから。
 真緒が好きだと知ってから諦めていたから。
 今まで好きになった人は、皆、私ではなく真緒を選んでいたから。
 嬉しさの余り、私は自分の気持ちを素直に告げていた。
 その瞬間、夜空に上がった花火に照らされた真緒が、無表情な顔で私を見ていたことに気付いたのだった。
「私、真緒に許してもらおうと思ったの……」
 顔を手で覆い、事故が起こった日のことを思い出す。
「真緒も先輩のこと好きだったから、私、真緒も大切だったから――」
 だから、話し合おうと思った。
 あの日、真緒にドライブに誘われて。
 久々だからって、お揃いの白いサマードレスを着て。
 脳裏に蘇る、真緒との会話。


 ちょうど、海が見え始めた頃だった。
『ねぇ、こうしていると私たち本当にそっくりね』
『私たち、双子だから……』
『そう、そうね。でも、やっぱり違うのよね』
 ハンドルを切りながら、真緒はぽつりと呟いた。
『真緒、私――』
『実緒、先輩のこと好き?』
 先に言われて、私は口ごもった。
 バックミラー越しに、そんな私を見て、真緒は小さく笑った。
『私、先輩も好きだけど実緒も好きなの』
 感情を窺わせない淡々とした声音が逆に本心だと伝えていた。
『私も、そうよ……』
 私がそう答えると、真緒はウンと小さく頷いた。
 双子の私たち。
 生まれてくる前から一緒だった私たち。
 誰よりも身近にいて、誰よりも互いのことを理解していた私たち。
『どうしてだろうね』
『真緒?』
『ずっと一緒だったのに、私たちは、やっぱり違う人間なんだよね』
 そして、真緒はどこか遠くを見つめるような眼差しで言った。
『好きになる人も同じなのに、こんなに似ているのに――』
 どうして違う人間なのだろう。
 どこが違うのだろう。
 顔も声も、全く同じなのに、いつも真緒が選ばれるたび、私が心の隅で思ってきたことを、今、真緒が思っているのが分かった。
 私たちは本当に似ていたから。
 姿だけではなく、その心の在り方まで。
『真緒、ごめんなさい』
『やぁね。どうして謝るのよ?』
 真緒は微笑みを浮かべた。
『私、実緒のこと好きよ。本当に大切よ。だって、もう一人の自分だもの』
 真緒の優しい声。
『だからね』
『真緒、前っ!!』


 そして、事故が起こったのだ。


「私だけが生き残って、きっと真緒は恨んでいるわ。だって、真緒は、真緒の方が生き残る価値があったもの……っ!」
 悲鳴に似た声で私が呟くと、先輩はいきなり腕を掴かんで顔を上げさせた。
 その怒ったような顔に、私は息を呑んだ。
「何、バカなこと言っているんだ!」
 そして、私は強く抱き締められていた。
「俺は、実緒が助かってくれて良かったと思ってる。真緒じゃなくて実緒が生きててくれて嬉しかった」
 少し掠れた先輩の声に、心が震えた。
 嬉しかった。
 あの花火大会の日と同じくらい、いや、それ以上に嬉しかった。
「でも、先輩、真緒は」
「真緒は実緒が好きだって大切だって言ったんだろ? だったら、きっと真緒は実緒を責めちゃいない」
「責めてない?」
「ああ」
「恨んでない?」
「ああ!」
 強く肯定され、私の目から涙が零れる。
 大好きな真緒。
 いつだって、優しかった真緒。
 笑って手を引いてくれていた真緒。
 私がここにいるのは、真緒が望んだことだったのだろうか。
「私……幸せになっていいの?」
「実緒」
「真緒は、喜んでくれる?」

『私、実緒のこと好きよ。本当に大切よ。だって、もう一人の自分だもの』

 そう言った時の真緒の微笑みを思い浮かべながら、私は震える声で言った。
「だったら、私、先輩と幸せになりたい――」
 更に強くなった腕の力が先輩の答えだった。

 長い夜が、ようやく明けた――。

 私は先輩の車の助手席に座り、ぼんやりと明るくなっていく空を眺めていた。
 先輩が運転席に座る気配を感じながら、私は空の片隅に、まだ月が残っているのを見つけた。
 細い細い下弦の月。
 今にも消えそうな薄い月。
 まるで爪跡のような夜の名残に、私は真緒の最期の言葉を思い出していた。
 車にエンジンがかかる。
「――――――――かしら……」
「うん? 今、何か言った?」
 エンジン音で聞き取れず、尋ねてくる先輩には私は静かに微笑んでかぶりを振った。
「そうか」
 そして、車は走り出す。そして、私はもう一度空に残る月を見ながら心の中で呟いた。
(本当に生き残ったのはどっちだったのかしら……)



『だからね、私たちは一つに戻ればいいのよ』




コメントという名の言い訳
 なんとなく、思いついたから書いた話。
 この私に珍しく完全な現代物です。しかも、一人称。
 そして、ほのかに暗く怖さが漂うモノとなりました。
 本当に、珍しい……。
 訳分からない話でごめんなさい。

2002/01/03 by ginduki

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