参 男たちは目の前の光景に心を奪われていた。 輝かしい金と銀の白い女。 月影のように清らな、神々しい美しさは見る者の心を捕えていた。 その女の金とも銀ともつかない髪が瞬く間に漆黒に染まっていく。 やがて、笑いを収め、女は艶やかに微笑んだ。 「妾の力の恩恵に預かりたいと言うのですね?」 「そ、その通りです」 女は静かに微笑んで答えた。 「良いでしょう。その願い、引き受けました」 そして、ゆっくりと女の腕が上がる。 ふわりと長い裾が揺れ、華奢な手のひらが閃いた。 その瞬間、男たちの一人が呻き声を上げた。 「!?」 胸元を押さえ、極限まで双眸を見開き、口を何度も開閉する。 「ど、どうした!?」 側にいた仲間の問いにも答えることができない。 「!!」 不意に、男の口元から一筋の血が流れると同時に、その体は崩れ落ちた。 「なッ!?」 袖を口元に当て、女は鈴の転がるような笑い声を響かせた。 「まずは一人」 異変を察して、男たちの一人が逃げ出す。 「まあ、どちらに行かれるのです?」 女の指先が優雅に動いた。 それと同時に、走っていた男の体が突然均衡を失い、倒れ、石段の上を転がり落ちていく。 「な、何をなさっているのです!?」 初老の男は顔色を変えて、言い募った。 「何故、我らを殺すのですか!」 「まあ、おかしなことを言うのですね」 くすくすと笑って、女は小首を傾げた。 あどけない仕草は清らかであるのに、どこか冷徹さを感じさせる。 「妾が何者か御存知でしょう?」 「月姫様でしょう。不死を司る、月の神女……」 女はおっとりと微笑んだ。 「いいえ? 確かに、妾が司る月は満ち欠けを繰り返すがめに不死の象徴ですわ。しかし、今宵は新月」 日輪が沈み、訪れた夜に月の姿はない。 「今の妾が司るのは『死』」 初老の男はぞくりと震えた。 「遠慮する必要はありませんわ。どうぞ、受け取って下さいな」 悲鳴が上がった。 初老の男を筆頭に男たちは我先に逃げ出す。 しかし、女の手向ける『死』から逃れることはできなかった。一歩踏み出すたびに、一人、また一人倒れていく。 次々と広がっていく死に側近の少女は怯え、震えて蹲る。 「右兎」 待ち望んだ声に、少女は顔を上げた。 「左兎! 早く月姫様をお止め差し上げて。あのままでは月姫様が罰せられてしまいます」 怒りのあまり女は自身の力を制御することを忘れていた。否、制御する気さえない。このままでは、天の神々の知れるところとなってしまう。 「分かっている。ゆえに、あの方をお連れした」 少年の視線の先を負うと、そこには艶やかな漆黒の衣を纏った青銀の髪に、紫の瞳の青年が立っていた。腰に漆黒の鞘の長刀を佩いている。 怜悧な容貌は凛々しく、落ち着いた威厳を持ち揃えていた。 「北斗様」 少女の呼びかけに、青年は穏やかに笑いかけた。 「久しぶりですね、右兎」 「お久しゅうございます。この度はご足労してくださいまして、主に代わりに礼を申し上げます 」 「堅苦しい挨拶はいりませんよ」 そして、青年は女を見つめた。 「さて、それでは我が姫を止めに参りましょうか」 舞かと思うような優雅な動きで、男たちに死を授けていた女はふと背後に感じた気配に振り返った。 「久しぶりですね、月姫」 青年の顔を見た瞬間、女の表情に苦々しさが生じる。 「……北斗の」 その様子に、青年は苦笑した。 「そんな顔をしないで下さい。傷つくではありませんか」 「では、妾の前から消えると宜しいでしょう。妾とて不快ですわ」 女の冷たい言葉にも、青年は苦笑するだけだった。 「それは残念ですね」 不意に、青年は笑みを消す。 「もう止めなさい。気は済んだでしょう? これ以上、死を振り撒いて悪戯に地上を混乱させたところで何も楽しくないでしょう」 すでに逃げようとしていた男たちは息絶えていた。 女の足元には最後まで抗っていた初老の男の亡骸が横たわっている。 「分かったような口を聞かないで下さいな。ましてや、妾に命じる権利など持っていないくせに」 夜風に、漆黒の髪が靡く。 それと同時に女の力が青年に襲い掛かる。 生と死を司る女の力は不老不死である神々でさえ太刀打ちできないものだった。 しかし、青年は長刀を引き抜き、鋭い一閃で薙ぎ払い除けた。 「!」 思わず、女は後ずさった。 「朔」 男の呼びかけに女は鋭い声で言い放った。 「お黙りなさい!!」 「では――輝 月姫と呼ばれる女は二つの面を持っていた。 生を司る月姫――輝。 死を司る月姫――朔。 どちらも女の名であり、どちらもが月姫だ。決して別人格という訳ではない。 「その名を呼ぶことを誰が許しました!?」 「……教えてくれたのは貴方ですよ」 そう答えながら、青年は女に近づいてくる。 怒りに震えながら、女は青年を睨みつけた。 「父の命で、妾に求婚するような男と知っていれば、誰が!」 一歩一歩近寄ってくる男を警戒するが、女は動こうとしなかった。 逃げることなど女の誇りが許さない。退くべきは青年の方なのだ。 「月姫、私の愛しい姫。意地を張るのは貴方が傷つくだけですよ」 間近に迫った青年の手が女の頬に触れた。 「!」 女はそれと振り払おうとした。 「意地など張ってい」 ませんわ。 しかし、不意に引き寄せられ、女の言葉は永遠に失われた。 唇に感じる温もりを屈辱と共に受け入れさせられる。 荒々しい夜風に乱れる漆黒の髪が色を失い、金とも銀ともつかぬ白い輝きが蘇った。 重なっていた唇が離れ、苦しそうな吐息を零しながら、女は涙で潤んだ双眸を細めて青年を罵った。 「許さぬぞ、七星……!」 そして、女は意識を失う。 傾き倒れる女の体を青年はしっかりと抱き止めた。 その顔には笑みはなく、ただ紫の瞳に滾るような熱情が宿っていた。 「……そうやって、貴方は私を益々狂わせていくのですね……」 女の抱く青年の腕に力が籠もる。 その瞬間。 「そこまでにして頂きたい」 冷ややかな声が青年の背を打つと同時に、首筋に刃の鋭さを感じ、青年は苦笑した。 「やれやれ、信用がありませんね」 青年に小刀の刃を当てていたのは女の側近である少年だった。 「ご自分が信用に足るとでも?」 少年は動作だけで女から離れるように青年に促した。 それに従い、男は女を少年の側に横たえる。 「信用したから、私を呼びに来たのではなかったのですか?」 「……月姫様を自らのものにせんがため他の求愛者を陥れる者を信用できるとでも?」 青年は困ったように肩を竦めた。 「当然の権利でしょう?」 恋うる者として。 そして、青年はくすりと笑った。 「信用できないのなら、何故、私を呼びに来たのですか?」 少年は迷いなく答えた。 「天の帝に従順な神々を選ぶよりはと思えばこそ」 女のしたことは本来罰せられるべきこと。 だが、それを良しとしない少年は、だからこそ、同じく女が罰せられることを望まない青年を呼んだのだ。 「天の帝の命で私は彼女に求婚したのに?」 「……私は天の帝に大人しく従う貴方とは考えておりませぬゆえ」 それは事実だった。 天の帝の命で青年は女に求婚したのではない。 天の帝の命を『口実』に、想いを遂げようとしたのだ。 それが裏目になり、女に厭われる結果になってしまったのは青年の読みの甘さだった。 少年の言葉に苦笑し、青年は溜め息を吐いた。 「どうして、彼女は気づいてくれないんでしょうかねぇ?」 「存じませぬ」 青年に呟きに対して、少年は冷たく応じた。 「それでは早々にお帰りを。貴方がおられては月姫様を起こすこともままなりませぬ」 「利用するだけ利用して、後はお払い箱ですか?」 「利用されるだけの役得はあったかと思われるが?」 女へしたくちづけを暗意に突きつけられ、青年は深い溜め息を吐いた。そして、未練がましい眼差しを女に注いだ。 それに気づいた少年がその小さな身で女の姿を隠す。 「……仕方ありませんね。ここは大人しく引き下がりましょう」 そして、青年はにこりと微笑む。 「また何かあれば呼んで下さい」 その言葉を最後に青年の姿が消失する。 完全に青年の気配が途絶えるのを待って、少年は女を呼び起こしにかかった。 「月姫様」 四 少年によって目覚めた女は起きるや否や辺りを見回した。 「月姫様」 呼びかけた少年に、女は鋭い眼差しを注いだ。 「……あの阿呆を呼んだのは左兎そなたか?」 わずかに少年の顔が強張る。 「月姫様! 左兎に咎はありません。私が願ったのです!」 右兎の訴えに、女は緩々と肩から力を抜いた。 「それもまた違うであろう。咎があるなら、そなたらの言を軽んじ、人間に関わった我にある」 「月姫様」 側近に二人に微笑みかけ、女は少女が抱く娘に気づいて笑みを消した。そして、ゆっくりと近づく。 「この娘には哀れなことをした」 娘は家族を失い、生きる場所を失った。 「このまま、村に戻したところで、不幸は目に見えておるな」 「月姫様……」 憂いに顔を歪める少女に、女はかすかにかぶりを振った。 「我が関わったことによる皺寄せじゃ。今更、関係ないと見捨てる訳には行くまいよ」 労わるように娘の額に触れ、女は静かに囁いた。 「忘れるが良い。今宵のことも、何もかも」 女の力で死んだ父と妹を蘇らせることはできなかった。 肉体が受けた死傷まで癒すことはできないのだ。女が持つ力は魂に及ぶものだった。ましてや、新月の今宵は『生』の力より『死』の力が強い。 「そなたの嘆きがそれで癒されるとは到底思わぬ。だが、生きよ。死した二人の分まで幸せに――」 そして、その夜を境に、娘の姿は消えた。だが、村の誰も娘を探そうとはせず、また男たちの亡骸が見つかった神社にも近寄ることはなかった。 数年後、都の帝は満月の夜に訪れた夢告に従い、一人の娘を妃に迎えた。 その夢に現れたこの世のものとは思えぬ美しい女は自らを月の化身と告げ、娘に加護を与える者だと言ったという。 娘はすべての記憶を失い、自らの名も言えなかった。唯一、覚えていたのは舞を踊ることだけ。 娘が舞うのは満月の夜だけだったという――。
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