黄昏の契約シリーズ 番外編
黄昏の祝福
written by 銀月愁稀
それは秘め事。
決して、音にしてはいけない秘密。
彼だけの――たった一つの真実。
「やはり、お見えでしたか」
柔らかく届いた声に、彼女は閉じていた双眸をゆっくりと開いた。
遠くもなく、近くもない微妙な位置に彼は立っていた。
彼女が身を預けているのは一本の大樹の根元。ちょうど膨れ上がるように持ち上がっているので、腰掛けて幹に凭れるのに適していた。
さらりと黄昏色の裾を払い、彼女は軽く身を起こした。
「わざわざ確かめに来たの、聖王陛下?」
薄く微笑んで問う女の表情はどこか楽しそうだ。
異色の瞳――紫と翠の瞳はどこまでも澄んでおり、深い愛情に満ちていた。
「からかわないで下さい」
聖王と呼ばれた青年は深緑の瞳を細めて苦笑した。
長く伸ばした淡い栗色の髪が風に揺れる。
聖王――それは彼の別称だ。
女は青年の言葉にくすりと笑った。
「からかう? 心外だわ。不思議に思って当然でしょう? この地はすでに貴方の支配領域。自ら足を運ばずとも、私が此処にいることなど知れたこと」
人ならざる血を継いだ青年は、永久なる安寧を求めて、一つの都を建てた。
聖都――強固なる結界によって、あらゆる災いから護られた都を。
「それは、そうですが……」
そして、青年はごく自然な動作で手を差し出した。
ふわりと重ねられる手。
白くたおやかな手は冷たいような印象とは裏腹に温かい。
女は青年の手を借りて、軽やかに立ち上がった。
はらりと舞う黄昏の長衣。昼から夜へと変わる、微妙な色合いをそのままに写したような色をしたそれは人の手では作りえない。
さらさらと流れる髪は純金の糸のようでいて、そして、最後の陽光の輝きにも似ていた。
女は美しかった。美しすぎて、不吉すぎるほどに。
昼間だというのに、女の纏う雰囲気は夜の静寂を携えていた。
「それで、私に何か用でもあって?」
微笑を湛えたまま、女は問うた。
それに対して、青年は嘆息して答える。
「用がなければ、会いに来てはいけませんか」
女は軽く目を瞠った。次いで、おかしそうに笑い出す。
「いいえ。貴方は人の子ですもの。時として、無為に事を成すのも、また道理でしょう」
人間は矛盾する生き物。
物事のすべてに意味を求めること自体が無意味だ。
女をしばし見つめ、青年は小さく呟いた。
「……貴女は変わりませんね」
彼が物心ついた時から、彼女は今の姿だった。
その微笑みも、何一つ変わらない。
彼に向けられる、慈しみの眼差しも。
女は静かに微笑んだ。
「変化とは起こすものではなく、起きるものよ」
女の言葉に、青年は息を詰め、そっと視線を伏せた。
「……そう、ですね」
ややあって、青年は微笑みを浮かべて女を見つめた。そして、先ほどの女の問いに答えるべく口を開く。
「貴女には直接報告しておくべきかと思いまして」
「?」
「この度、妃を娶ることになりました」
「まあ」
女は小さな驚きの声を上げた。
「貴方が伴侶を得るなんて、時の流れとは思いがけないこと」
そして、女は優しい微笑を浮かべた。
「祝福してよ。貴方が未来を繋ぐことをとても喜ばしく思うわ」
いっそ無邪気といえるほど素直に喜ぶ女に青年は苦笑した。
そして、繋いだままの手を不意に引き寄せて、相手を抱き締めた。
清らかな花の香りが鼻腔をくすぐる。
「感謝しています。血の繋がらない私を今まで見守り、育ててくださって……」
「例など必要ないわ。今の貴方がいるのは貴方自身がそう望んだからに他ならない」
「それでも、貴女に感謝をします――慈悲の司姫」
異能の力を片親から受け継いだ彼を守ってきたのは、属こそ異なっているが同族の彼女だった。
人間でもなく、同族でもない、中途半端な彼の存在を疎ましく思う者は多くいて、そんな彼らから彼女が守っていてくれたことを青年は知っていた。
「グナーデ」
そっと囁かれた名に、女が苦笑する気配がした。
「何年ぶりかしら、貴方が名前で呼んでくれるなんて」
その言葉に、青年は小さく呟いた。
「それが、けじめでしたから」
この黙された想いの。
母だと呼びたくなかった。
血の繋がりはないと分かってからは余計に呼べなかった。
だけど、相手に宿るのが恋慕の情ではなく、子を想う慈愛でしかないと分かっていたから、母と呼ぶこともその名を呼ぶこともできなくなった。
美しい、黄昏の麗人。
闇に属する、慈悲の名を冠した存在。
彼女は変わらない。彼が幼子から青年に変わっても、人より永く生きて、その傍らにあっても、彼女の彼に対する感情は変わっていない。
いっそ、この身がただの人間であれば良かった。
そうすれば、彼女の眷属になれたのに。
だが、青年に流れる血は彼女の同族にして、光に属するもの。
決して相容れることはない。
青年はゆっくりと女を解放した。
「グナーデ、私は人として生き、人として死を受け入れようと思います」
黄昏の女は淡く笑んだ。
「それが貴方の選んだことであれば」
青年は頷き返し、続けた。
「私の血は連綿と続くでしょう。そして、この都も。だが、永遠ではない。いつか、終焉を迎える」
「えぇ、そうね」
すべては巡る。
生と死を繰り返し、時は繰り返される。
「だから、その最期を看取って欲しい」
「私に?」
「ええ、貴女に」
永久の平和を求めて、都を作った。
戦いに明け暮れる人々を、その愚かしさを黄昏の女が憂えていたから。
「お願いしてはいけませんか」
静かに女は瞳を閉じた。
「いいえ……受けましょう。約束してよ、貴方の存在した証がすべて潰えるまで、私は見守りましょう」
「……ありがとうございます」
聖なる都は青年の想いの証。
争いのない世界を実現させれば、喜んでくれると思っていた愚かしくも純粋だった過去の自分の象徴。
音にすれば、この想いはあまりにもありふれた言葉にしかならない。
だから、青年はその言葉を禁じた。
禁じられた言葉を口にする時が来るとしたら、それは彼が世界に仇なすものとなった時だ。
その想いに狂い、世界を揺るがす『歪み』と成り果てた時だけ。
そして、女はふわりと身を浮かした。そのまま、静かに青年の額にくちづける。
「グナーデ」
女はにこりと微笑んだ。
「光と闇、そして黄昏――世界の祝福が貴方にありますように」
それは秘め事。
決して、音にしてはいけない秘密。
彼だけの――たった一つの真実。
『貴女が手に入るなら、世界に仇なすものになってもいい』
その禁じられた言葉を彼女が看取るのは、遥か未来のこと。
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本編情報 |
作品名 |
黄昏の契約シリーズ
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作者名 |
銀月愁稀
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掲載サイト |
泡沫の城
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注意事項 |
年齢制限なし
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性別注意事項なし
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表現注意事項なし
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シリーズ連載中
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紹介 |
聖なる都と謳われし地で、聖騎士である彼は『彼女』に出会った。
喪服を纏い、黄昏に佇む彼女との出会いが彼の身に眠っていて力を目覚めさせ、そして、苦悩の日々が始まる。
ダークファンタジー。
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