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黄昏の契約シリーズ番外編 |
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別れ告ぐ花 |
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銀月 愁稀 |
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女は小高い丘に立って、地平線に沈んでいく陽を眺めていた。
ふと、視線を落とし、眼下の尖塔を見下ろす。
鐘が鳴っていた。
ゆっくりと、一定の調子で鳴り響く鐘の音はどこか物悲しい。
「葬儀か」
不意に背後から声がかかる。だが、女は動じなかった。それどころか、知っていたかのように答えを返した。
「ええ、そうよ」
そして、女は静かに振り返り、木陰に建つ男に小さく微笑む。
「誰のものか、分かっていて?」
「……その姿はどうした?」
男の問いに、女はくすりと笑った。
「答えはすでにご自分で仰ったでしょう」
女は漆黒のドレスを纏い、薄いベールを目深に被っていた。両手に抱えているのは白い花束。
それは喪服。
死者を悼むための装い。
「何故」
男が更に問いを重ねた瞬間、一陣の風が吹き、女のベールを揺らした。
「愚かしいこと」
冷ややかな一言に、男の顔がわずかに歪む。
くすりと冷笑して、喪服の女はベールの奥から男を見据えた。
「貴方は此処に来た。それがすべての答えではなくて? それとも、想いごと記憶――記録さえ忘れてしまったのかしら?」
鋭い追及に、男は言葉を失う。
それは昔。
人間にとっては遥か昔、彼らにとってはそう長くはない昔のことだ。
喪服の女は目の前の男から一人の嬰児を託された。
人間の女と男の間に生まれた、命。
人間ではない男は死期を間近に控えていた。
巡る生。
想いは失われ、記録と化した記憶を有して蘇る魂。
親としての情などあるはずがない。それを今更求めているのではない。
ただ、喪服の女は一つの命を生み出した責任として、その死を見届ける義務を突きつけていた。
「グナーデ」
名を呼ばれ、喪服の女は笑った。
男の声にはわずかだが動揺が含まれていた。
「貴方が罪悪感に苛まれる必要などないわ」
喪服の女の言葉は慰めではなかった。
「罪はそれを罪と知る者にこそ意味がある」
罪悪感を抱くということは自らの行いに恥じるものがあると本人が思っているということだ。罪の意識がない者が罪悪感を抱かないことの逆の論理だ。
「私があの子の死を悼むのは愛しく思うからこそ。義務、ましてや罪悪感などを理由にあの子の死を悼むのはただの偽善だわ」
「偽善」
「えぇ」
やがて男は密やかに息を吐き、肩を落とした。
「――今回の私の行動は我が一族の同意を得たものではない。協議する時間はなかった」
喪服の女は軽く肩を竦めて、さらりと言い放った。
「当然ね。人間は私たちと違って、時間が限られているもの」
彼が逝ったのは二日前だった。
一国を総べる王という身ゆえに、その葬儀も大掛かりなものとなる。だが、それでも葬儀は一週間もあれば終わる。
一年の喪も日々生きる人々にとっては大した意味はない。
「人間は良くも悪くも、忘れ去る存在ゆえに、か……」
小さく呟き、男は女に告げた。
「行こう。我らとて、無為に費やす時を持つ道理もない」
「そうね。貴方の心が決まったのなら、私とて此処に留まる謂われはないわ」
そして、二人は静かに大地から離れる。
空を滑り降りるようにして、二人は尖塔の入口に足を下ろした。
半ば夜に近い時刻のため、人の姿はまばらだ。だが、完全に途絶えた訳でもない。偉大な王の死を悼む人々のために、一晩解放された神殿には不寝番が置かれていた。
しかし、二人の姿は誰の目にも留まっていなかった。
無言で歩み出した喪服の女の後を少し遅れて男が追う。
神殿の中は無数の蝋燭が灯っていた。
蝋燭の数は死者の安らかな眠りを願う祈りの数だ。
最後の別れを済ませた弔問客が自ら用意した蝋燭を一本ずつ捧げていく。
その灯りの中心に据えられた祭壇の上には漆黒の柩。
ふと柩の横で控えていた騎士たちが顔を上げる。
曇りのない瞳が見えるはずのない二人を映し、軽く瞠られた。
「聖眼か」
「えぇ、あの子が見出した稀なる力。私たちの力とは本質的に異なるもの」
騎士たちの顔に緊張が走るのを認め、喪服の女は静かに微笑んだ。
そして、そのまま柩の側まで来ると、そっと漆黒のベールを持ち上げた。
その拍子に、手に持った花束が揺れ、一枚の花弁が床に落ちる。
その瞬間、花弁は柔らかな光となって掻き消えた。
男はそれを見て、かすかに柳眉をひそめた。
騎士たちは明らかになった喪服の女の素顔に硬直していた。
薄い漆黒のベールから現れたのは壮絶な美貌。
純金の糸のような長い髪に、傷一つない白い肌。清純と妖艶を兼ね揃えた容貌。何より、強烈なのが、翠と紫の異色の瞳だった。朝露を含んだ緑より瑞々しい翠は鮮やかで、神秘的な揺らぎに輝く紫は艶やかで、背筋に震えが来るような印象を有していた。
不吉なまでに美しい。
だが、騎士たちが身動きでなくなった理由はそれだけではなかった。
彼らから思考を奪ったのは――喪服の女の慈愛に満ちた微笑だった。
喪服の女は柩の中で眠る養い子を愛しげに見つめた。
二百年。
人間にとっては驚くほどに長い、彼女たちにとっては呆れるほど短い、時間。
その時間を生きた王の姿は若々しいままだった。その容貌は父である男より凛々しく、清廉な印象を持っていた。もっとも、それは母たる女の主観が多分に含まれているかもしれないが。
花束を左腕全体で支えるように持ち替え、喪服の女は空いた右手で、我が子の頬を撫でた。
「――まだ、其処に留まっているのね?」
柔らかく双眸を細め、女は苦笑交じりに囁く。
「本当に、手のかかる子どもだこと。私の導きがなくとも、逝くべき処は分かっているでしょうに」
答えはない。
だが、女はまるで気にも留めず、話を続けた。
「貴方の我侭を叶えるのはこれが最後よ」
そして、喪服の女は白い花束を柩の上で撒き散らした。
それは有り得ない光景だった。
静かに舞い落ちる、花。
そこにあったはずの茎はない。白い花首だけが眠る王の上に降り注ぐ。
「さぁ、お行きなさい」
深い愛情に溢れた声が、宣言する。
「貴方に祝福を。次なる生もまた、貴方が貴方として在りますように」
白い花の雨が、王の体に覆い尽くす。
そして、王の体は花首と共に消失した。
「ッ!?」
愕然となったのは側で見ていた騎士たちだった。
思わず、騎士の一人が喪服の女の腕を掴んだ。
「……何を、なされた、人ならざる婦人」
押し殺した声。
それに潜む激情に、喪服の女は婉然と微笑んだ。
「宿るべき魂が去り、器を構成する力が失せただけのこと」
「何を言って」
不信を隠そうともしない眼差しに、女は小さな溜め息を吐く。
そうしていると、無言で見守っていた男が突然動き出した。
「……?」
男は空になった柩の上で、自らの指先を爪で傷を作り、一滴の血を落とした。
次の瞬間、柩に消えた王の体が現れる。
「これで問題はなかろう」
淡々とした物言いに、女は失笑し、そっと騎士の手を払った。
「人たる身は大地に還るべきだ。だが、あれは人と言うには異なりすぎた」
そして、男は女を見据えた。
「あれは我らが列に名を連ねる気はなかったのだな?」
女はかすかに笑んで頷いた。
「あの子は彼らの王でしたから」
ゆえに、人の王として死を受け入れた。
「ならば、何ゆえ、かの花を捧ぐ」
「あら、ご不満?」
「過ぎた花だ。かの花は我らが源たる象徴」
「だからこそ」
喪服の女は微笑み、静かに男を見返した。
「人は彼らの花を、私たちは私たちの花を捧ぐが道理ではなくて? どんな生を選ぼうと、あの子の身に流れるは人と私たち一族の血ですもの」
「道理か」
「えぇ」
不意に、男は視線を外し、踵を返して外へ向かって歩き出した。
その背を見送り、喪服の女は小さな溜め息を吐いた。
「果たせぬ義務より生じる悔恨ゆえに、心弱まり、『歪み』となりて、『世界』に仇なす。そのようなことにならずに済んで良かったこと」
小さく呟き、喪服の女はちらりと柩を見やった。
先ほど変わらぬ様子で横たわっている姿に、わずかに笑い、女は踊るように身を翻す。
ふわりと揺れる喪服の裾が空気を孕んで、まるで花が綻ぶようだった。
漆黒のベールから、残っていた白い花弁がふわりと離れる。
「待て、お前は」
騎士の制止に、喪服の女は静かに微笑んだ。
「私は聖王の死を悼む者」
そして、女は白い花弁と共に消え去った。
FIN
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別れ告ぐ花 |
銀月 愁稀 |
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番外編紹介: |
王の死を弔う花として手向けられた白い花。それは人ならざる者からの別れと祝福を意味していた。ダークファンタジー。 |
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注意事項: |
年齢制限なし |
本編連載中 |
本編注意事項なし |
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本編: |
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