彼女が自身の存在を認識した瞬間こそ、彼女の存在が確定された瞬間だった。

 鮮明な、しかし、どこか遠い視界。
 それは水面に映り込んだような感覚。

 彼女の正面に、背を向けた『彼女』自身の姿があった。
 頭上には星を抱いた光り輝く巨大な刻印が浮かび上がっていた。

「……『時紡ぎ』」

 ぽつりと呟いた彼女の声を聞く者はいない。
 そして、彼女はただ静かな眼差しで、刻印の奥に立つ巨大な大時計を見やった。
 その手前に降り注ぐ光で構成された道、否、あれは時の狭間へと至る亀裂だ。
 その亀裂に今にも呑み込まれて消えようとする少年の背が見えた。

「『時渡り』……」


 その瞬間、少年が抗い、振り返ろうとした。


「姉さ……!」


 だが、すべては遅く、すべては終わっていた。
 一瞬のうちに、光の道も刻印も、少年の姿も消えていた。
 静寂がその場を支配し、枯れることを知らない桜の花がはらはらと散っている。
 やがて、力尽きて倒れた『彼女』は何処からともなく現れた鎖に囚われ、大時計へと吸い込まれた。

 そのすべてを彼女は見ていた。
 そして、すべてが終わった時、彼女は自身の存在とその意味を理解した。

「私は……シグマ……」



 歪められた時間に対し、世界が元の歴史に戻ろうする力の具現――それがシグマであり、彼女だった。
「歴史を元に戻さなきゃいけない――。でも」
 ゆっくりと自身の両の手のひらに視線を落とす。

(私に、未来という時へ渡る力はない……)

 本来、多くの歪みの発端となる『時紡ぎ』は過去の改変に使われる。
 望まない結果、起こってしまった不都合な出来事、それらを変えようとして『時紡ぎ』は行われてきた。
 だが、未来を予見する力を持っていた『ねね』はそれにより義弟の死の可能性を、その拡大を感じた。
 そして、その死を回避するために、できるはずのない未来への、義弟が生きているという未来への『時紡ぎ』を行ったのだ。
 結果、歪みが生じたのは五十年後という未来だった。
 五十年後――それは間違いない。
 シグマとして生まれた彼女は当然のように知っていた。
 『時紡ぎ』がされた先――未来へと渡った少年が、その時間に到達した瞬間に、何かが起こった。

 歴史を揺るがす何かが。

 そうでなければ、シグマは生まれない。
 ただの人間一人の生死で、歴史の流れが変わることなどない。
 五十年後。
 それが彼女の調律すべき時だ。

 だが、本当に、何が起こったというのだろう。

 彼女は緩やかに動き出す時間から、少し逸脱したところで首を傾げた。
 彼女の修復目標である五十年後を起点として、その周辺の時間がひどく乱雑になっている。
「無数の平行世界……」
 シグマである彼女には、無数の可能性の世界が生じていることが分かった。
「でも……」
 それは彼女の調律の対象ではない。
 ましてや、その目標となる時までの五十年間、彼女がしなければならないことなどない。
 ならば、その時が来るまで、無数の平行世界を覗いてみるのも悪くない。


 そして、彼女はやがて知る。
 ベースとなった少女の力を引き継いだがゆえに、未来の平行世界のどこかの『彼』の存在を。
 その時が来るのを。



「ずっと、待っていたんだよ……シグマ」










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