これ以上の栄誉はないだろう。
「過分な評価だ」
だが、その栄誉を与えられた本人には納得がいっていないらしい。
おそらくこの世で一番黒髪の青年を過小評価しているのは彼自身であろう。そしてはっきりと過大評価に得心がいっていない。
赤毛の青年にとっては、是非改善して欲しいところだ。
誰がどう考えても、黒髪の青年の才覚に対する正しい評価なのに、当の本人が過大評価だと不平を感じているのは、理不尽だ。
第一、赤毛の青年にとって、自分が一番気にいっている人間に対する不当な過小評価は、はっきり云って愉快ではない。
「客観的に考えて、形に残る現実に対しては正当な評価だと思いますよ。――貴方がどれほど厳しく評しても、ね」
だからこそ、折につけて説得しているのだが――未だ納得してもらっていない。
「……別に、人より早い昇進を望んでいたわけでも、周囲の賞賛が欲しいわけでもない」
赤毛の青年のしつこいまでの指摘に、黒髪の青年はこの話題を持て余したように、視線を横に逸らして呟きをもらした。
「ただ、父にとって無様な息子にならぬよう、心がけているだけだ」
ただそれだけなのだから、過大な評価は望ましくない。
言外に、態度だけでそう主張する黒髪の青年に、赤毛の青年は微かに片方の眉を吊り上げた。
これが他の者なら、謙虚にしか見えない態度でやんわりと首を横に振るだけで済ますのだが、赤毛の友人が相手だと、黒髪の青年は徹底的に世論の評価を否定する姿勢を崩さない。
ある意味では、本音を明かされているわけだから、親友を自認する身としては嬉しいのだが――。こうも堅固に否定されるのは楽しくない。
――何故、黒髪の青年がそこまで自身に対する賞賛を拒絶するのか、その理由は赤毛の青年も知らない。
単純に己の力量を過少に考え態度を慎んでいるのか、もっと高みに目標を抱いている為この程度で完成されたように思われるのを厭っているのか、あるいは他に理由があるのか――。
親友だと思い、互いに本音を明かしあえているとは思うが、だからといって内面の全てを明かしているわけでもないからだ。
もっとも、それも当たり前の話だ。
どれ程親しい間柄であろうとも、別の人格を持ち異なる思考の元活動する他人である以上、相手の全てを知りえることなど叶う筈がない。
相手が語らぬのならば、聞かない。知られたくないと思っているのならば暴き立てない。
それは他者の人格を尊重する為の最低限の礼儀だろう。
だから、知らない。聞きだす気もない。
ただ、客観的な意見を示すだけだ。
もっとも、他のことには周囲の意見に耳を傾け、それを取り入れる黒髪の青年が、この点だけは決して聞き入れたことはないのだが……。
黒髪の友の、意志の強さという長所と背中合わせに同居する頑固という短所に、手を焼かされている赤毛の青年は盛大に溜め息をついて、仕方なく話題を変えた。
「まあ、押し問答はこれくらいにして、本題に戻りましょう。よくぞ、黙り通してくれましたね?」
相手以上にむっつりとした表情を作って、その胸倉を締め上げれば、黒髪の青年は眉間の皺を解いて、軽く片眉を上げ呆れたような表情を見せた。
「理由をそこまで理解していて、俺を責めるのか?」
『黙っていた理由』をその口で説明しておきながらのこの行動に、抗議の声を上げれば、赤毛の青年はけろりとして言い返した。
「違います。非難ではなく、八つ当たりです」
「おい?」
普通、堂々と言い返す理由にはならない理由を高らかに断言する赤毛の友人に、流石に黒髪の青年の声音にも不審の響きが宿った。
「この、私まで見事に引っ掛けられていたなんて、まったく自分の不甲斐なさに腹が立つ」
黒髪の青年の襟元を掴んだまま、赤毛の青年はチッと高らかに舌打ちをする。
しばらくその様相を眺めていたが、幾分か考え込んでから黒髪の青年は小さく呟いた。
「……なるほど、理不尽だが筋は通った主張だ」
「普通、八つ当たりに筋は見つけられないと思うんですけど」
その呟きに赤毛の青年がまだ襟首を掴んだままで言い返せば、意外そうに黒髪の青年は軽く首を傾げた。
「そうか? つまり、俺の隠し事を見抜けなかった自分が腹立たしい。だが、自分に怒りをぶつけるのは馬鹿馬鹿しいから原因の俺に当り散らす。充分筋が通っているじゃないか」
「一般的に、八つ当たってる時点で筋が通ってないと判断されるんですってば」
「ああ、そういう考え方も出来るか」
「世間ではその考え方が大多数です」
そういう論争をしているあたりで、二人とも一般的思考から外れているのだが、残念ながらそれを突っ込む第三者はここにはいなかった。
「……そういえば」
呟くように云いながら、赤毛の青年はようやく胸倉を掴んだ手を放す。
「なんだ?」
引っ張られた胸元の皺を伸ばしながら、黒髪の青年が首を傾げて聞き返すと、赤毛の青年は独り言のような口調でこう云った。
「将軍が御自分の前言を撤回なさったのはどういう心境の変化でしょうねぇ?」
「……ああ、ソール小父上に云われたそうだ。今の状況でまだ隠し通す必要は無いだろう、と」
その呟きに対する返答に出てきたのは、件の父親の数十年来の戦友の名だった。
件の父親とは彼の内乱の頃から無二の戦友として、そしてその右腕として闘ったという話だから、おそらくその人物も彼ら親子の事情を知っていたのだろう。
「――なるほど。今更、光る親の七光りもない、と」
納得の意を込めて頷く赤毛の友人に、黒髪の青年は再び口を開いた。
「で?」
「で?」
最初に訪問の理由を聞かれた時と同じ口調で投げかけられた問いかけに、赤毛の青年が同じ様に言葉を返せば、黒髪の青年はほんの少し首を傾げるように微笑って更に問いを重ねた。
「それで終わりか?」
「と、いうと?」
「見学と八つ当たりの為だけに来るには、大祭殿と宮殿は距離がありすぎるだろう」
黒髪の青年の云う通り、この二つは同じ市街にありながらも、街の規模が大きいがゆえに大層な距離がある。
赤毛の青年も、幼い頃から親と共に旅を続けていただけあって相当な健脚ではあるが――それが理由で大祭殿からの使いをよく仰せつかるのだが――そうひょいひょいと気軽に行き来できるような距離ではない。
「当然でしょう。勿論、もう一つ、一番大事な用件があるに決まっているでしょう」
人差し指を立て、二、三度それを横に振りながらそう云うと、赤毛の青年はその視線を真っ直ぐに黒髪の青年に向けた。
そして、微笑みと共に口からこぼれたのは……。
「おめでとうございます」
簡素で、それでいて優しい、祝賀の言葉だった。
「……」
ある意味では突然の一言に、一瞬、黒髪の青年も言葉を失い、思わず目を丸くして相手を凝視してしまった。
「昇進の祝いと取っていただいても、父君から一人前と認めてもらえた事への祝辞と取っていただいても、どちらでも構いませんよ? 両方の意味がこもってますから」
にっこりと笑いながら、悪戯っぽくそんな一言を付け加える。
その一言に、黒髪の青年もつい小さな笑いがこぼれた。
そして、黒髪の青年も真っ直ぐに赤毛の青年を見下ろし、云うべき言葉を返した。
「――ありがとう」
こちらも、飾らないが心からの礼のこもった一言だった。
「さて。では、飲みましょう。祝いの席には酒! これは酒精の蒸留法が発見されて以来、覆されること無き不文律ですからね」
「まだ、飲ませる気か!?」
何処に持っていたのか、たぷん、と音をさせて飲み口のついた皮袋を取り出し掲げ持つ赤毛の青年に、黒髪の青年が思わず声を荒げた。
しかし、友人は涼しい顔でこう云ってのけた。
「当たり前でしょう、祝宴で散々勧められてきたでしょうけど、私の酒はまだ飲んでいませんからね。飲んでもらいます」
「二日酔いになったらどうしてくれる?」
「火酒の一口や二口で、酔うほど弱くはないでしょうに」
さり気無い反論は、一言の元に退けられた。
「――分かった、頂こう」
若干苦笑気味に笑いながらも、黒髪の青年は外套を脱いで壁の掛け具に引っ掛けると、そのまま赤毛の青年と対するように椅子に腰掛けた。
「それで良いんです」
満足げに笑って、赤毛の青年も再び着席する。
――――そうして、友人同士のささやかな酒宴が始まった。
了