「あ、ラクス」 ふいに呟かれた名前に、キラの足が止まった。 「あぁ、ホントだ」 キラの隣にいたサイが反対側にいるミリアリアの視線を追って呟いた。 二人の視線の先にはウィンドウに飾られた映像パネルだった。 そこには先ほどまでプラントで行なわれた会議の中継が映っていた。 ちょうど会議が終了した直後なのだろう。 議会場から出てきたラクスのコメントを撮っているところだった。 歌姫として知られていたラクスだが、最近、否、戦後は主にプラントの中枢を担う一人として名を馳せていた。 平和を歌い、コーディネーターとナチュラルの共存、そして戦後の復興を推す彼女は年齢以上の落ち着きを持って応じ、微笑みを浮かべながら質問に答えていた。 「……」 思わず、じっと凝視するキラに気づいて、サイとミリアリアは苦笑する。 「キラ」 「こんなとこで立っていると他の人に邪魔になるわ」 それほど人は多くはないとはいえ、往来の通りである。 「え、あぁ、ごめん……」 気もそぞろに謝るキラの視線はいまだラクスに注がれたまま。 どうしようかとサイとミリアリアが悩み出した瞬間だった。 「サイ、ミリアリア、ごめん」 唐突にキラは首を巡らして謝った。 「急用ができたから、僕はここで帰るよ」 「え、えぇ」 「本当にごめん、また今度埋め合わせするから」 その優しげな容貌に浮かんだ微笑みに、言いようもない迫力を感じてサイは慌てて頷いた。 「あ、あぁ別にいいよ」 そして、二人の了承を得ると同時に、キラは踵を返して足早に去っていった。 その後ろ姿を見送り、サイとミリアリアは虚ろに微笑み合うしかなかった。 「これから、どこに行くの?」 突然、かかった声に顔を向けたラクスは声の主を見て立ち尽くした。 浮かんでいるのは柔らかな微笑み。 優しく見つめてくる瞳は綺麗な紫色。 「キラ」 驚きを込めて、大切な名を呟いてから、ラクスは我に返る。 「いつ、こちらに……?」 それは当然の問いだった。 地球のオーブにいる少年は暇を見つけてはプラントに来ている。 しかも、プラントに来るのは大抵ラクスの休日だけだ。 彼女の休日に会えるように、自身の予定を調整するのだ――時には無理をして、時には他人を巻き込んで。 そのことを知るたびに、ラクスは複雑な憤りと困惑を含んだ喜びを覚えていた。 だが、今回は違う。 つい先ほどまで会議を終えたラクスは、この後、視察に向かう予定だった。 せっかく来てくれたのに、一緒にいることができない。 それを寂しく思うと同時に、束の間でも会えたことに嬉しさもラクスは感じていた。 「つい、さっき来たところ」 「まあ、そうですの」 二人は会話を進めながら、ごく自然と横に並び、歩き始める。 「カガリさんはお元気ですか?」 「元気だよ、つい数時間前怒鳴られた」 「まぁ……」 建物を出たところには移動用の車が二人を待っていた。 「相変わらず、仲が宜しいようですわね」 くすくすと小さな笑いを零しながら、ラクスはキラを見つめた。 キラは苦笑が混ざった表情で頷き、応じる。 「いっつも怒鳴り、怒鳴られの関係だけどね」 どちらがどうなのかは言うまでもない。 そして、キラはラクスのために車のドアを開けて先を促した。 いつもなら運転手がすることをキラがしてくれたことに、くすぐったさを覚えてラクスは微笑を浮かべた。 「ありがとうございます」 ラクスが小さく礼を言うと、キラの悪戯めいた笑顔が返ってくる。 「どういたしまて」 キラも乗り込むのを待って、車は静かに動き出した。 「それで、ラクスはこれからどこに行くの?」 再び尋ねられ、ラクスはきょとんと空色の瞳を瞬いた。 「視察、ですけど……?」 「あぁ、そうか、そうだったね」 何やら頷いているキラの様子に、ラクスは違和感を覚えた。 「キラ?」 「あのね、ラクス」 問いかけようとした矢先、キラの柔らかな微笑みにラクスは言葉を失う。 「それ、取りやめたから」 その言葉の意味をラクスが理解するまで数十秒の時を要した。 「………………え?」 にっこりとはキラは笑って続けた。 「それから、その後の講演も協議も、ついでの親睦会も全部なし」 聞いているうちに、ラクスの顔が青ざめていく。 「キ、キラ!?」 驚愕と疑問を込めて、ラクスはにこやかな微笑みを浮かべ続ける少年の名を呼んだ。 「冗談、ですわよね?」 半ば懇願を込めた声でラクスは尋ねた。 「どうして?」 不思議そうに首を傾げられ、ラクスは咄嗟に迸りそうになった叫びを呑み込んだ。 微笑みを浮かべているキラの瞳は真剣だ。 そして、ラクスはようやく違和感の正体に気づいた。 「……キラ、何か怒っていらっしゃいます?」 恐る恐る問い掛けると、キラの微笑みが更に深まった。 「うん、ちょこっとね」 穏やかな声音だった。 それだけに、キラが本当に怒っているのだと知り、ラクスは慌てて心当たりを探り始める。 だが、ラクスがそれを見つけるより先に車が止まった。 「ラクス、着いたよ」 キラに促され、思案に耽るラクスは着いた場所に気づかず素直に従った。 そのまま、手を取られ、歩き進みながら、ラクスは唇を噛み締めた。 一体、キラは何を怒っているのだろう。 何度思い返しても、その原因となりそうなことは見つけられない。 握られた手は温かくて、訳も分からず謝りたくなる衝動に駆られた。 だが、それではいけないと自身を制して、ラクスは必死で記憶を探る。 そんな焦っている様子のラクスを見つめ、キラは気づかれないように溜め息を零した。 「ラクス」 「え」 キラは静かに笑いかけた。 「はい、お休みなさい」 そして、ラクスの手に渡されたのは柔らかな枕。 「え?」 ますます混乱するラクスは思わずキラと枕を見比べ、そして、ようやく今いる場所に気づいた。 見慣れたそれはクライン邸のラクスの私室だ。 後ろには寝台があり、枕はそこから取ったものだとすぐに分かった。 「キラ……?」 戸惑いながら呼ぶと、キラは苦笑を浮かべて答えた。 「最近、まともに休んでないでしょ?」 「そんなことは」 ないと言いかけて、ラクスは口を噤む。 確かに思い返してみれば、最近の予定は分刻みで組まれていた。 「でも、わたくしは」 「『大丈夫』はなしだよ、全然大丈夫そうじゃないから」 先手を打たれて言葉を失ったラクスにキラは溜め息を吐いた。 そして、そっと手を伸ばしてラクスの頬に触れる。 不意の行動に、ラクスはどきりとして緊張に身を強張らせた。 「……やっぱり、顔色が悪い」 不機嫌そうに呟き、キラは無理やりラクスを寝台の上に横たわらせた。 全身を包み込むような柔らかな感触に、ラクスは思わず身を委ねた。 そして、気づく――キラの言うとおりラクスの体は休息を必要としていたことに。 「キラ」 「何?」 無愛想な声に怯みながらも、ラクスは疑問を口にした。 表情は厳しくても、ラクスを寝かしつけようと掛け布を引き上げてくれるキラの動作はひどく優しかった。 そのことが泣きたくなるように嬉しい。 「どうして、そう思われたのですか?」 ラクス自身、たった今まで自覚がなかったのに。 誰も気づかなかったのに。 心の底から不思議がるラクスの問いに、キラの顔がわずかに和らいだ。 「他の誰かが気づいて、僕が気づかないようなことがあったら、嫌だな」 遠回しな言葉の意味を理解した瞬間、ラクスは思わず掛け布を顔まで引き上げていた。 その上で、顔を背けるように寝台に押し付ける。 その仕草に微笑んで、キラはまるで小さな子どもにするようにラクスの頭を撫でた。そして、そのまま、薄紅の髪を何度も梳く。 しばらく、その心地良さに浸り、ラクスは顔の火照りが治まるのを待ってから緩々と顔を上げた。 「キラ」 「うん?」 予想通りの、否、予想以上に優しい眼差しが待っていて、ラクスは再び顔が火照ってくるのを感じた。 「寝れません」 「?」 「勿体なさ過ぎて寝れません」 せっかくキラがいるのに。 ラクスの可愛らしい主張に、キラはわずかに目を瞠った。 次いで、湧き上がってきた想いにに堪え切れず、笑い声を零した。 「キラ」 咎めるような響きに、キラは笑い声を抑えようとしながら謝った。 「あぁ、ごめん。……じゃあ、僕はいない方がいい?」 次の瞬間、空色の瞳が鋭く睨んでくる。 「キラ」 それまでの動揺が嘘のように消えた顔で、ラクスはまっすぐにキラを見据えていた。 静かな、それでいて明確な否定。 キラは微笑んで、ラクスの頬に手を寄せる。 「ラクス」 「はい」 不意に、キラはくすりと笑った。 「寝れないようだったら、寝れるようにしてあげようか?」 「……はい?」 にっこりとキラは微笑んでいた。 その瞬間、ラクスの心が騒ぎ出す。 「あの、キラ……?」 「あんまり上手くないけど、子守り歌でも歌う?」 ややあって、ラクスは大きな溜め息を吐いた。 「…………まるっきり子ども扱いですわね」 どこか拗ねたような呟きに、キラはくすくすと笑った。 「たまにはいいんじゃない?」 穏やかな声で言われて、ラクスは諦めの境地に立つ。そうしているうちに、緩やかな眠気に襲ってきた。 「キラ……」 沈んでいこうとする意識を辛うじて繋ぎとめ、ラクスはキラを呼んだ。 「側に、いて下さい……」 「ラクス?」 すでに瞼は降りており、開けるのも難しかった。 「わたくしが起きるまで、側に……」 無意識のうちにラクスの手は頬に触れているキラの手に重なっていた。 キラが静かに笑う気配がした。 「いるよ」 不意に、キラの囁くような声が間近になる。 「側にいるから、だから、お休み、ラクス」 優しい命令に逆らうことはできなかった。 |
テーマは「カッコ良い攻めキラでキララク」。 ……カッコいいですか? 攻めていますか? ああ、微妙に違うような気がするんですけど! 後半の問題発言で、私の羞恥心の限界が見えました。 みつばさん、キリ番申告ありがとうございました。 こんなものしか書けなくてすみません〜。 追記:子ども扱いじゃない別ヴァージョンは某所にUPしています。 |
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