部屋に入った瞬間、ラクスは時が満ちたのを知った。 簡素な造りの部屋は綺麗に整理されながらも、暖かな生活感が滲み、窓から差し込む光が床に落ちている。 その光に縁取られるようにして立つ、一つの人影。 そっと溜め息を殺し、ラクスは心持ち瞳を伏せて、手にしたトレイをサイドテーブルの上に置いた。 「……もう、お加減は宜しいのですか?」 静かに尋ねるラクスに、すでに気配で知っていたのだろう相手は驚いた様子もなく、ゆっくりと振り返った。 「うん……」 柔らかく微笑む姿が眩しく見えて、ラクスは数瞬双眸を細める。 不意に覚える既視感。 だが、あの時より目の前の少年はずっと大人びており、その瞳に宿る光を強い。 そして、それを眺める自身の心境にラクスは内心自嘲の笑みを浮かべていた。 変わらないものと変わったもの。 似ていれば似ているほどに、明確になる差異。 しかし、ラクスは緩やかに微笑を浮かべた。 「でも、お薬は飲んで下さいね?」 持って来たトレイの上には紙袋に入った飲み薬と水差しとコップがあった。 それを認めて、少年の顔がわずかに歪む。 「……その薬、苦いんだけど」 子どもじみた反応に、今度は無理なく微笑みを浮かべることができた。 「良薬は口に苦し、と言いますもの」 くすくすと笑われて、少年は小さく溜め息を吐いた。 「分かったよ」 そう答えると歩み寄り、少年は難しそうな顔つきで睨みながら、薬を口に含み、水で流し込んだ。 本当に、まるで子どものようだ。 純粋で、優しくて、なのに。 「……ラクス?」 不意に呼びかけられ、ラクスは我に返った。 「キラ?」 「どうかしたの? さっきからボーっとしてる」 否定できず、ラクスはキラに曖昧に微笑みを返す。 「そうですか? 少し、疲れているのかもしれません」 あざとい言い方だ。 そう言えば、優しい彼が気遣って、これ以上の追及を免れることを分かって言っている。 だが、ラクスは大切なことを忘れていた。 「ラクス……」 「はい?」 苦笑を滲みませながら、キラはこつんとラクスの額を軽く叩いた。 「そういう笑い方は見ているこっちが痛くなるから止めてって言ったよね?」 「!」 「我慢、しないで。……言っていいから」 ラクスは咄嗟に俯いて唇を噛み締めた。 見透かされている。 迂闊だった自身を責めても、もう遅い。 いつだって、キラはそうだ。 キラはラクスの心を優しく暴く。 ラクスは震える声音で小さく答えた。 「……言えません」 言えるはずがない――行かないで、とは。 キラの意志を知り、それが最善であると判じ、それをラクスは認めた。 それを今更翻すなど、ただの愚かな我侭だ。 ラクスは息を整え、静かに顔を上げた。 そして、にこりとキラに微笑みかける。 「大丈夫です。わたくしはキラを信じていますわ」 そう、信じている。 キラがその望みを果たすことを。 必ず、ラクスの許に帰ってきてくれることを。 だけど。 「ラクス」 「わたくしなら大丈夫ですわ」 大丈夫と繰り返しながら、その度に深まっていく不安にラクスは手を握り締めた。 キラを信じている。 それは間違いない。 だけど、それなのに、湧き上がってくる不安を打ち消すことができない。 そんな自身の弱さにラクスは憤りつつ、キラに微笑みかけた。 「キラは行かれるのでしょう?」 「……うん」 わずかな躊躇は恐らくラクスの慮って。 だが、それでも頷いたキラに、ラクスは笑みを深めた。 「では、すぐに準備を」 しかし、キラはラクスの言葉を封じるように告げた。 「明日」 「え?」 「行くのは明日だよ」 ラクスは蒼い瞳を瞠って、キラを見上げた。 凪いだ紫色の瞳はわずかに微笑を含んでいたが、真摯な光を含んでいた。 ラクスは戸惑いながら尋ねた。 「キラ……? でも、時間が」 状況は切迫している。 奪われた三機の新型MSに端を発する一連の戦い。 オーブを巻き込み、すでに戦火の予兆は世界全体に広がりつつある。 それが具現化する前に止めるために、キラは赴くことを決めたはずだった。 ラクスの言葉に、キラは軽く肩を竦めた。 「メンデルの爆破で、情報が錯綜しているみたいだよ。今のところ、情報戦が集中しているから……まだ少しだけ大丈夫だ」 不意に見せたキラの真剣な表情にラクスは息を呑んだ。 いつの間に、と思うが、キラが情報処理にかけては随一の能力を持っていることはこの二年間で知っていた。 「キラ……」 わずかに双眸を細めて、ラクスは声音を硬くした。 休養中にも関わらず動いていたのか、そして、その出発の猶予がラクスの不安を思ってのことか、二つの意味を込めて、ラクスはキラを呼んだ。 宿る怒りの感情を察して、キラは苦笑した。 「だって、明日じゃないとラクス許してくれないんでしょ?」 「?」 くすくすと笑いながら、キラはラクスの髪を一房掬い取り、弄び始める。 「一週間。そう言ったのはラクスだよ?」 「!」 次の瞬間、ラクスの脳裏に蘇ったのはメンデルでの出来事だった。 重傷ではないとはいえ、怪我を負ったキラに確かにラクスはそう告げた。 そうでも言わないと、キラは怪我を押してでも戦場に赴くだろうと思ったから。 それは無理だと思ったから。 もし、行くのであらば、渡すべきものがあったから。 「で、も」 不意に、キラはにこりと笑った。 「約束したから」 その微笑みと一言に、ラクスは言葉を失った。 緩々と顔を伏せると同時に華奢な肩が小刻みに震え出す。 「ラクス」 そっと優しく呼ぶ声は、激しく渦巻く感情を押し留めようとする心を包み込むようだった。 髪を弄んでいたキラの手が静かに肩に置かれ、ラクスはキラの腕の中に引き寄せられた。 その際に、ラクスの蒼い瞳から、涙が一滴弾ける。 決して、乱暴ではないが、確かな強さで抱き締められ、ラクスは思わず安堵の息を零した。 その瞬間、耳朶を打った単語に、ラクスは呼吸を止めた。 「キラ……?」 ぎこちなく顔を上げたラクスが見たのは静かに微笑みを湛えたキラの顔だった。 ラクスが聞き間違いかと思うより先に、キラの唇が動く。 「愛してる」 ふわりと優しい眩しさを感じさせる笑顔と短い言葉から溢れるほどの想いに、ラクスは心臓が止まるかと思った。 「キ、ラ」 そっと目元に滲んだ涙をキラの指先が拭い取る。 出会った時より無骨になった指先は、それでもキラの優しさを伝えるには充分だった。 それでも、音という形で、ラクスの心に響き渡ったキラの想いはそれまで侵食していた不安を瞬く間に塗り変える力を持っていた。 喪失への不安を上回る、愛される喜びに、ラクスは唇を噛み締めた。 「……キラは」 「うん」 「時々、ずるいです」 ラクスの言葉に、キラは苦笑した。 「切り札はここぞという時に使うべきでしょ?」 ラクスは上目遣いでキラを見つめた。 「普段は言ってくださらないくせに……」 「だって、恥ずかしいし」 抜け抜けと言ってのけるキラに、ラクスは白い頬を紅潮させた。 「だから、ずるいと申し上げているんです」 くすりと笑って、キラはまだ涙が滲んでいるラクスの目元に唇で触れた。 「でも、涙は止まったでしょ。僕は、ラクスは笑っている時の方が好きだから」 泣いている時も可愛いけどね、と嘯くキラにラクスはじろりと睨みつける。 「キラ」 くすくすと笑いながら、キラは手をラクスの頬に当てた。 軽く唇を重ね、キラは微笑んだ。 「愛してる、ラクス」 まっすぐに見つめてくる蒼い瞳を愛しそうに見つめ、キラは繰り返した。 「ラクスがいるから、僕は行ける。諦めない」 その言葉をラクスは聞いて、柔らかに微笑みを浮かべた。 「わたくしも、キラを愛していますわ」 必要なのは物ではない。 繋がる想いはそこにある。 けれど、時として、『形』は必要で、たった一言だけで強く在れる――それは言の葉の絆。 |
テーマは「甘い運命キララクで、キラの愛の言葉付き」。 ふ、ふふ……何気に『運命への階』と繋がっていますが、どうか気にしないで下さい。 ……だって、情報が少なすぎて。←言い訳 捏造が更に助長されています。 とにかく、キラの一言を言わせなくては! と気合を入れてみましたが、いかがでしょう。 てつさん、70000HIT申告&リクエスト、ありがとうございましたv |
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