恋の足音





 鮮やかに紅葉した木の葉が音も立てずに湖面に舞い落ちた。
 秋の涼やかでどこかもの悲しい風は、青年の髪を揺らし吹き抜けていく。
 午前7時の新鮮な空気を吸い込みながらロニスは一心に剣を振るっていた。額や顎にはおびただしい汗の玉が、朝の日差しを受けて輝いている。
 額にはりついたクセのない金茶の髪を無造作に払いのけて汗を拭うと、再び精神を集中する。
 遙か遠くからは小鳥のさえずる声と秋風にそよぐ木々のささやきが聞こえる。彼は誰も居ない湖畔で剣の稽古をするのが好きだった。と言うか日課になっていた。
 四季折々の景色の中で無心に剣を振るっていれば、雑念など瞬時に消え去ってしまうようだった。
「はっ!」
 気合いとともに振り下ろされた白銀の刃に、木の葉は一瞬にして両断され、その残骸が乾いた音をたてて地に舞い落ちた。
「きゃあぁ〜〜〜っ。」
 どっぼ―――ん!!
 その時、まるで絵画のように美しい光景に似つかわしくない大きな悲鳴と大きな水音が辺りに響きわたった。
「……。」
 ロニスはその鋭いターコイズブルーの瞳をしかめると、ゆっくりと湖の方に視線を送る。
 そこには、腰の辺りまで水に浸かったままぽかんと空を見つめる少女がひとり。
 ぼんやりとした朝の陽光に透けるような淡いエメラルドグリーンの髪には飛び散った水滴が輝き、まるで彼女が天使であるかのように幻想的な印象を与える。
 しかし、何よりも清らかな印象を与えるのはそのアクアマリンの瞳だった。まるでこの湖の煌めきをそのまま閉じこめてしまったような輝く深い瞳。だが、表情はあまりにも間が抜けている。
「…きみ、大丈夫?」
「!!」
 少女は彼の気配に気がつくと、ぎょっとして立ち上がろうとする。
 ロニスの方も突然現れた少女にかなりの警戒心が動いたが、その澄んだ瞳に見つめられると不思議と彼女に対する警戒心がとけていった。そして気がつくと、穏やかに声をかけ、手を差し伸べていた。
「あ…ありがとうございます。」
 少女もはじめは伺うようにしてロニスを見つめていたが、おずおずと白くしなやかな手を差し出す。
「本当に大丈夫?随分高いところから落ちてきたみたいだけど…それにしても酷いなりだな。全身びしょ濡れじゃないか。」
 岸に引き上げた少女が纏っていた漆黒の衣服は無惨にも大量の水滴を滴らせている。
「…う、うう。どうしてこんな事に…。」
 少女はがっくりと肩を落とすと深い深いため息を吐いた。
「だいたいきみ、どこから落ちて来たんだ?まさかこんな朝っぱらから木登りでもあるまいし。」
「…それが…えーっと多分、術の文字配列を間違えちゃったみたいなんです。本当はちゃんとした場所に転移出来るはずだったんですけど。」
「まあ、とりあえず怪我はないみたいだから良いけど。術の練習には気をつけないとな。とりあえず家、すぐ近くだから服乾かして行けよ。いくら何でもそれじゃ街歩けないだろ?」
 水に濡れてしなしなになった服と情けない表情を浮かべる少女にロニスは仕方なくそう言った。

「…きみ、大丈夫か?」
 ホットミルクの入ったカップをしっかりと掴み、その透明感のある瞳で語る少女にロニスはため息混じりにそう言った。
「し、失礼な方ですね!大丈夫かって一体どー言う意味ですか?」
「そりゃ、おかしいって言うか、あり得ないだろ。冥府から来た…だって?」
「はい!」
 ロニスは自分の分のホットミルクをカップに注ぎながら、素っ気なく言う。
 が、少女は力強く頷いた。
 ―――もしかして、落ちたショックでどうにかなってしまったんだろうか…。
 イスを引き、テーブルを挟んで少女の前に腰をおろしながら、ロニスは頭が重くなるような気がした。
「今、頭がおかしくなったとか、思いましたね?」
 彼の表情から胸中を察した少女の目は明らかに据わっている。
「いや、頭がおかしくなったなんて思ってない。ただ、ちょっとな…いきなり冥府から来ましたって言われても。」
「本当なんです。私、冥府のお父様と先生に頼まれて、とある人の魂を探しに来たのです。」
「ふぅん。じゃ、俺学校あるから。」
 ロニスはミルクを一気のみすると、そそくさと席を立つ。
「えっ、ちょ、ちょっとまって下さいっ!」
 少女はあわただしく立ち上がったが、彼は荷物をさっさとまとめると外に出て行ってしまった。
「そ、そんなぁ。戸締まりどうするんですか…?じゃ、なくて相談にのってもらおうと思ったのに…。」
 再び深いため息を吐くと、少女は残りのミルクを口にはこんだ。

 授業が終わり、日が西に傾きかけて来る頃、ロニスは訓練場に向かいゆっくりと歩いていた。
 学校から訓練場までの並木道は色とりどりの落ち葉に埋め尽くされ、自然の絨毯が出来ている。
「ロ〜ニ〜スっ!隙アリ!!」
「うわっ!!」
 背後から襲ってきた来た青年に思いっきり後頭部をどつかれ、ロニスは思わず前のめりになる。
「デイル、おまえ…。」
「またまた。そんな怖い顔したからって、ごまかせるってもんじゃ無いぜ?」
 デイルは何でもお見通しと言わんばかりにロニスの肩を軽く叩く。その桜色の瞳にはいつも彼が見せるいたずらっぽい光が含まれていた。
「何が?いつ俺がおまえに隠し事したって?」
「あれ?何だよ剣なんか持って。これから訓練場にでも行くってか?」
 授業が終わった後に訓練場へ通うのは毎朝の稽古と同じく、ロニスの日課なのだ。近衛騎士だった母にあこがれる彼にとって、鍛錬以上に大切なものはない。
「当たり前だろ。鍛錬は日課だ。」
「何で?オレはこれからてっきりデートなのかと思ったぜ〜?」
「…は?」
 そこでぴたりとロニスの足が止まった。おかしなものを見るように親友の顔をまじまじと見る。
「はーぁ。オレには紹介しない気だな?ま、あんなに綺麗な子だもんな。独り占めしたいと思うのは解る!それにしても、オヴェールちゃん、ほんと天使みたいだよな〜。やっぱ、紹介しろ。」
「…まさか…あの子来てるのか?」
「来てるのかって、さっきからずっと校門で待ってるぜ?オレが声かけたら、お前の事を探してるって言ってたけど?って、おーい!」
 デイルの言葉が終わるより早く、ロニスは駆けだしていた。乾いた落ち葉を踏みしめるさくさくと心地よい音だけが後に残された。
 こちらに駆けてくるロニスを真っ直ぐに見つめる少女―――オヴェールは今朝方までの無邪気な表情とはまるで違う、気品に満ちた大人の女性のような表情をして彼を待っていた。彼女の漂わせる清浄な雰囲気がその美しさをさらに際だてているようだった。
 衣服も、今朝見たものとは違う黒と白を基調としたゴシック調の可愛らしい服を身につけ、長く艶やかな髪を黒いシルクのリボンで結っている。
「きみ、どうしたの?あれから家には戻ったのか?」
 その衣服をどこから調達して来たのかと言う疑問はさておき、とりあえずロニスは息を弾ませながらオヴェールに声をかける。
「あの…あなたがロニス・ミストラルさんに間違いないですね?」
「そうだけど、それがどうかした?」
 ロニスがそう答えると、真剣な表情で彼を見つめていたオヴェールは不意に花のような愛らしい笑顔を浮かべ彼に抱きついた。
「やった〜♪やっぱりあなただったんですね。良かった。」
「ちょ、ちょっと。」
 と、言いつつもしっかりオヴェールを抱き留めながらロニスは辺りを見回す。
「それで、早速なのですが、お願いしたい事があるんです。」
 その時、木の影からこちらを伺っているデイルの視線を感じた。一応隠れているつもりなのだろうが、思いっきりバレバレである。
「急にどうしたって言うんだ?とりあえず話は聞くから、今朝あった森林公園まで行こう。ここだと人目がありすぎるから。」
「はい…?それは良いですけど…。」
 顔を上げて自分を仰ぎ見るオヴェールの笑顔は無邪気なものに戻っていた。
 ロニスの後をなぜかややスキップ気味に歩く彼女に何となく嫌な予感を感じながら、見慣れた森林公園を歩く。辺りのベンチには愛を語らう恋人達で埋め尽くされていた。
 ―――何か、間違った所に来てしまったかな。
 普段、ロニスがここを訪れるのは早朝のみ。まさかこの時間帯はほぼ恋人達専用の場所になっていようとは思いもよらなかったようだ。辺りからやたらと熱い視線を受けながら、足早に湖畔へと彼女を導く。
「ふー。」
「あの、ロニスさん、大丈夫ですか?」
 具合悪そうにため息を吐くロニスに、オヴェールは何かを期待している子供のような視線を送っている。頬が桜色に染まった彼女を見ていると自分の顔まで少し火照って来るのを感じた。
「それで…話って、何かな?」
 平静を装いながら問いかけるロニスに、彼女は勢いよく一通の真紅の封筒を差しだした。その封筒の裏には見慣れないガンメタリックな封印が施してある。
「……中見ても構わない?」
「もちろんです。」
 緊張しつつもゆっくりと封印を剥がすロニス。封筒と同じく真紅の便せんには黒いインクで文字がつづってあった。その文字はやたらと丸く、お世辞にも上手とは言えない。
『親愛なる我が息子へ やっほ〜、ロニス元気にしてるかしら?母さんが戦死してからもう13年も経つから貴方もお父様に似てきっと素敵な男性に成長している事でしょうね。母さんは冥府に送られてから、元気でやってるわ。私の剣士としての能力を冥王様に認めて頂いて、今は冥府の六柱神騎士団で騎士団長やってるの。まあ、仕事はそちらで近衛騎士をやっていた頃とさほど変わらないわ。強いて言えば、生きてるか、死んでいるかの違い位かしらね。それはともかく、今冥府では人材が不足しているのよ。最近私も忙しくて、7人の皇子様と、11人の皇女様方の剣の稽古をつけてあげる時間がなかなか取れなくてね。他の騎士団の団長達もスーパーハードなわけ。それでとりあえず末の皇女様であり、母さんの可愛い教え子でもあるオヴェール様に貴方のスカウトをお願いしたんだけど、どう?こちらに来る気はない?冥王様も私の息子なら間違えないだろうと仰っているし。さっきも言ったとおりこちらもそちらとはあまり変わらないわ。だから心配しなくても大丈夫よ?今だともれなく私の騎士団で適当な役職つけてあげるから。どうよ? 追伸、OKな場合はオヴェール様にその旨をお伝えしてね。サクッとこちらに来られるようになるから!それじゃあ、貴方に逢える日を楽しみにしているわね。 ロニスの母兼六柱神騎士団 紅天妃団団長 マーガレット・ミストラル』
 し―――ん。
「却下。」
 ビリっとロニスは勢い良くその便せんを破り捨てた。それは間違いなく13年前に他界した母、マーガレットの記したものに間違いない。そう、この必要以上にクセのある字とのうてんきな文章は疑う術もなく母のものなのであった。
 母は戦場に赴くたび、ロニスに宛てた手紙を枕元に置いていった。早くに父を亡くし、母ひとり子ひとりで暮らしてきたロニスにとって母は何よりも大切な存在であり眩しい存在であった。
 彼女が戦死してからも幼いロニスはその手紙を幾度も読み返し、成人した今でも彼の家の引き出しに、母の遺品として大切にその手紙がしまわれてれているのだった。
 ―――どこの世界に息子をあの世に誘う母親がいるんだ。
「きゃーっ!ロニスさん酷いです!せっかくのマーガレット先生からのお手紙をっ。」
 風に吹き飛ばされてしまう手紙の残骸を慌てて拾い集めながら、オヴェールはロニスを非難している。
「じゃあ、きみは本当に冥府の住人なんだ?…で、皇女様?」
「ええ。一番末っ子なので王位継承権とかそう言うの気にしなくていいお気楽者です…今回はお父様とマーガレット先生のお願いもあって、あなたのお命を頂きに参りました。」
 散らばった手紙の破片を胸に抱えながら、オヴェールは静かに立ち上がった。秋の日は落ちるのが早い。辺りはすっかり蒼白い闇に覆われかけている。
「どうか、私と共に冥府へ来て頂けませんか?」
 秋の冷たい風は二人の間を通りぬける。その風には色濃い死の香りが含まれていた。瞬く間にオヴェールの淡い色の髪は漆黒の闇色へと変わり、その大きな澄んだ瞳は紅玉のそれに変化した。
「……今、冥府への扉を開き…。」
「勝手に開くな。却下って言ってるだろ。」
「えっ?」
 思いっきりあの世ムードを創っていたオヴェールの顔はロニスの冷静な一言で引きつった。
「じゃ、俺帰るから。」
「そ、そんな〜!酷いです。一緒に来て下さいよ〜!ロニスさーーーん!!」
 またもやそそくさときびすを返すロニスに追いすがりながら、オヴェールは叫んだ。
 ―――本当はきみとならどこへでも行けるんだけど、それはまだ、言わない。
 彼の声なき呟きは、冷たく清々しい秋の風の中に溶けて消えた。








 『月夜の訪問者』のじゅうさんの企画に参加して、Getしました〜。
 えへへ、遠慮のないリクエストの内容は「天然の死神の少女と命を狙われるクールな青年。少女を青年が振り回しつつ、実はベタ惚れ」という非常に突っ走ったもの。
 もらった時、本気で顔がにやけました。
 楽しいです、本当に楽しいです。

 私も見習って、(ラブ)コメディ書きたい〜。

 じゅうさん、本当にありがとうございました♪




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