硝子の向こうの顔





 彼女は突然やってきた。
「やっほー? 元気してるー?」
 作戦会議中に現れた女性に、その場にいた全員が呆気になった。
 栗色の巻き毛に、明るい琥珀の瞳。妙齢の女性だ。
「あらー? あららー?」
 小首を傾げながら、女性は部屋の中を突き進み、中心なるように立っていた青年――ラトルに近づく。
 ラトルが我に返った時にはすでに遅かった。
「いやん、しばらく見ないうちにイイ男に育ってるじゃない〜ッ」
 歓声を上げて、女性はラトルに抱きついた。
「リュ、リューテッ!!」
 激しく動揺しながら、ラトルは女性――リューテを引き剥がそうとした。しかし、見かけによらず、腕力のある彼女の腕はしっかりとラトルを捕まえていた。
「ああ、ホラ、ちゃんと見せて?」
 ニッコリと微笑み、リューテはラトルの顔を両手に挟み込み、まじまじと眺める。
「ホント、イイ男になったわね〜」
 感慨深げに微笑むリューテの表情に、ラトルは思わず頬を緩めた。
 しかし、不意に、ラトルの表情が強張る。そして、ぎこちない動きで首を巡らした。
 ラトルと一緒に会議をしていたのは苦楽と共にしてきた仲間たち。
 ラトルの視線がある一点で止まり、それが何を意味するのか理解した彼らも恐る恐る首を動かした。否、約一名だけは興味深げに。
 ラトルたちの視線を一斉に受けたのは銀髪の美しい少女。飾り気のない男物の装いを纏い、銀剣を佩いた姿は違和感なく馴染んでいる。
「ア、 アウロス――」
 思わず、ラトルは呼びかけていた。
「……何?」
 周囲の微妙な緊張感を察し、少女は訝しげに眉をひそめた。
「会議を中断するなら、構わないわ。私も少し考えたいことができたし……」
 ふと、視線を落とし、アウロスは地図上の敵の本拠地を見据える。そして、顔を上げて、かすかに微笑んだ。
「再開する時に呼んで」
 そのまま、アウロスはそっけなく踵を返した。
 次の瞬間、ラトルは我を忘れた。まだ、抱きついているリューテを乱暴に引き剥がし、慌てて部屋を去ったアウロスを追った。
 アウロスはまだ部屋を出た廊下の角を曲がった所だった。
 走って少女に追いつくと、ラトルは振り向かせるように細い肩を掴んだ。
「アウロス!」
 ひどく慌てた様子のラトルに、アウロスは驚いて翡翠の瞳を見開いた。
「何、どうかしたの?」
「え、いや、だから……ッ!」
 純粋な問いに、ラトルは言おうと思っていた言葉を呑み込んだ。
 誤解されたと思った。
 だから、それを解くためにラトルは走ってきたのだ。
 しかし、まっすぐに向き合ったアウロスの顔に、そんな兆候は欠片もない。
 これは喜ぶべきなのか、それとも哀しむべきか。
 何だか、焦った自分が情けなくなってくる。
(あ、かなり痛いかも……)
「ラトル?」
 不思議そうに見つめるアウロスに、ラトルは渇いた笑みを返すしかない。
 その直後、ラトルは聞き覚えのある声と共に背後から抱きつかれた。
「見ぃつけた〜!」
「ッ!」
 とたん、硬直してラトルは立ち尽くす。
 ラトルを捕まえ、その腕に自らの腕を組みながら、リューテは傍らに立つアウロスに気づいた。
「あらー? 新顔さんね〜?」
 そして、リューテは不躾なほどにアウロスを眺めた。
 その視線にアウロスはわずかに柳眉をひそめた。
 昔から値踏みする視線に晒されることは慣れている。だが、目の前の女性が注ぐそれはいつものとは微妙に違う気がした。
「ふぅん?」
 ラトルから離れ、リューテはアウロスを覗き込む。
「あら、勿体ない。どうしたの、その傷」
 長く艶やかな銀色の髪に隠されていた右頬の醜い傷痕を指摘され、アウロスは思わず手で隠して一歩退いた。
 傷痕を厭う気はない。それどころか、傷痕が残って、安堵を覚えたくらいだ。
 だが、リューテの言葉はひどく胸をざわめかせた。
「リューテ、止めろ」
 低い声で制止するラトルを、アウロスは戸惑いながら見上げた。
 ラトルは憤りを感じると、普段穏やかな声音が低くなる。
 それに知ったのはアウロス自身が何度もその身を以って経験したからだ。
「どうして、怒るの。勿体ないから、勿体ないって言っただけなのに〜」
「もうちょっと考えろと前から言われているだろう」
 頬を膨らませるリューテをラトルは静かに見下ろした。
 二人の遠慮のない会話に、アウロスは目を瞬いた。
「……仲がいいのね」
 その呟きに、ラトルは素早くアウロスを見た。
「いや、だから!」
「そうよ〜、仲良しさんなのよねー」
「リューテッ!!」
「なのに、ひどいと思わない? 久しぶりなのに、冷たいなんてー」
 同意を求められて、アウロスは困惑しながら曖昧に頷いた。何だか、身の置き場所がないような気がしてならなかった。
 初めて覚える感覚。
 何だろう。ひどく、落ち着かない。
(……きっと、緊張しているのね)
 人見知りが激しいとまではいかないが、やはり初対面の人間であるリューテに気後れしているのだろう。
「じゃあ、私は」
 その場を離れようと身を翻そうとした時、ラトルの手がアウロスの腕を掴む。
「……ラトル?」
 訝しげに見やると、真剣な顔をしたラトルがアウロスを見つめていた。
 ラトルはアウロスの呼びかけに応えず、腕を組んでいたリューテを振り解いた。そして、アウロスを掴む手に少し力を込めて、リューテに向き直る。
「リューテ、分かっていて遊ぶのは程々にしてくれ」
 その言葉に、リューテはふっと淡く微笑んだ。
 落ち着いた、大人びた微笑みに、それまでの甘えた空気はなかった。
「……ふぅん? 本気なんだ? でも、あんまりオススメできないわよ」
「――ラズゼーニと同じことを言うんだな」
 くすりとリューテは笑った。
「あらあら、嬉しいことだわー」
「リューテ」
「いやん、怒らないで〜? 別に、どうこうしようって気はないもの。ただ」
「……ただ?」
 ニッコリとリューテは悪戯っぽく笑いかけた。
「分かってないわよ、彼女」
 ラトルは苦虫を噛み潰した表情になった。
 二人の様子に、アウロスは益々訝しげに柳眉をひそめた。
「リューテ、帰っていたのか」
 不意にかかった声に、リューテは弾かれたように振り返る。
 廊下を歩いてくる壮年の男――この館の主にして、ラトルたち抵抗軍の支援者ラズゼーニだ。
 リューテは華やかな笑顔で走り寄ってラズゼーニに抱きついた。
「そうよ、帰って来たのよ、貴方の最愛の妻が!!」
 ラズゼーニは驚いた様子もなく、当然のようにリューテを抱き留めた。
「やれやれ、君は相変わらずだ」
「んふ、美人でしょ?」
 ラズゼーニは苦笑した。そして、立ち尽くしているラトルとアウロスに気づき、軽く手を上げた。
 それを合図に、ラトルはアウロスを引き連れて歩き出す。
「…………妻?」
 中庭に出ようとしたところで呟いたアウロスに、ラトルは足を止めた。そして、茫然としているアウロスに力尽きたかのように笑いかけた。
「そうだよ。リューテはラズゼーニの妻で、そして、私の叔母だ」
「……叔母?」
「信じられないかもしれないけど、ね」
 あんな性格で人妻とはラトルも時折疑う。ましてや、彼女は母親代わりでもあるのだ。
 溜め息を吐いて、ラトルはアウロスに微笑みかける。
「リューテの言ったことは気にしなくていいから」
 その言葉に、アウロスは小さく笑う。
「早々、敵だった人間を信じられるはずがないもの」
「いや、あれはそういう意味じゃなくて」
「……違う?」
 不思議そうに見上げてくるアウロスにラトルは言葉に詰まった。
 以前に比べて表情が出るようになったのはいいが、無防備すぎる。恐らく、アウロスは自分がどんな顔をしているのか自覚していない。
(これは時間の問題だな、自制できるのも)
 ラトルは静かに苦笑した。
「問題あるのは私ってことだよ」
 ラズゼーニやリューテが危惧しているのは、ラトルが自身の立場を忘れるほどにアウロスに惹かれていることだ。
 いざという時、ラトルは誰を犠牲にしても生き残らなければならない。
 だが、目の前に立つ少女はその覚悟を覆す。
「……とにかく、アウロスのせいじゃないから」
「本当に?」
「本当に」
 それでも疑いの眼差しを向けるアウロスに、ラトルはふと笑みを消した。
 いっそ告げてしまえばいいのだろうか。
 ラトルの事情とアウロスの事情。
 ラトルは自らの立場に、アウロスは自らの想いに囚われ、不安定な位置関係にいる。
 まるで薄い硝子の壁に阻まれているような錯覚さえ覚えることがあった。そこにいて、見えているのに、触れることができない。
 たった一言。
 一言で、硝子の壁は壊すことができる。
「……アウロス」
 微妙に変わった声音に、アウロスの表情が強張る。
「ラトル?」
 戸惑いと不安が揺らぐ呼びかけに誘われたかのように、ラトルはそっと手をアウロスに伸ばしていた。
 ふわりと指先に触れる銀色の髪。
「知りたい? リューテの言葉の意味を」
 翡翠の瞳をわずかに瞠り、アウロスは何かを言おうとして唇を動かした。しかし、言葉は出ない。
 アウロスの躊躇いが分かった。
 分かっていて、ラトルはアウロスの答えを待った。
 退く気は、なかった。
 翡翠の瞳が不安定に揺れる。
「ラトル、私は」
 その瞬間だった。
「うわ、止せって……!」
「ちょっ、押さないで下さいっ」
 慌てた様子の小声が聞こえたかと思うと、倒れる音がした。
「……」
 ラトルとアウロスは無言で顔を見合わせ、首を巡らせた。
 廊下の角から倒れ込んだジェリスとガントの二人と視線があった。
「あ」
「よ、よぉ?」
 わざとらしい笑みをガントは浮かべていた。
「…………」
 緩々と、ラトルは額に手を当て、そっと溜め息を吐いた。そして、静かに微笑む。
「――――そこで、何をしているんだ、二人とも?」
 にっこりと微笑むラトルとは対照的に二人の顔色が変わる。
「ラ、ラトル!」
「違います、誤解です!」
 必死に弁解してくる二人を見つめ、ラトルは更に笑みを深めた。
「何が、どう、誤解なのかな?」
「いや、だから!」
「そ、そうです! 新しい情報が入ったんですよ。最新の情報がッ!」
「そうそう、ラズゼーニのおっさんが持ち込んできてな」
 ジェリスに続いて、ガントが勢いよく頷きながら続けた。
 対するラトルの反応は冷ややかだった。
「……へえ、そう」
「いや、ラトル?」
 たらりと汗を浮かべながら、ガントは恐る恐る窺い見た。
「何かな、ガント?」
 にこりと微笑みを返され、ガントは口篭もった。
 ジェリスは半分泣き出そうになっている。
 しかし、そんな三人の様子を見ていたアウロスが言葉を挟んだ。
「ラトル、新しい情報が入ってきたなら、検証する必要があるわ」
 その言葉に弾かれたように、ラトルはアウロスを見やった。
 そして、何かを言おうとして、がくりと肩を落とした。
「……あぁ、そうだね」
「?」
 不思議そうに見つめてくるアウロスの表情に、先ほどの不安定な様子は欠片もなかった。
 渇いた笑みを浮かべ、ラトルはかぶりを振った。
「何でもない。行こうか? 会議を再開しよう」
 その言葉にアウロスはそっと微笑んで頷いた。
 硝子の向こうであろうと彼女の微笑みは美しかった。
 今は、それで充分だ。否、満足しないといけないのだろう。
 アウロスに穏やかな微笑みを返しながら、ラトルは固まったまの仲間に顔を向けた。
「とりあえず、覚えておくからな?」
 その言葉に、ガントとジェリスは今度こそ絶句して、凍りついたのだった。



テーマは「『希求』のラトルとアウロスその他でラブコメ」。
ラブコメということで、色々と考えたのですが、どれもこれもラトルが苦労するネタばかり。
何故だ?と自問したら、アウロスが気づかない(無意識のうちに考えないようにしている)からだと判明。

そんな時に、ふと思い出したラズゼーニの設定。
そして、初登場のリューテさん。
普段は各地に飛び回って商売をしているのだと思われます。

ラトルとアウロスより、バカップルな夫婦に間違いありません!

焔乃さん、ご期待に添えられましたでしょうか?<ドキドキ
これからも末永くお付き合い下さいませ〜。




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