究極の選択




 部屋に入った瞬間、『廻れ右』で帰りたくなった衝動に彼女は襲われた。しかし、ここで逃げ帰って、どうなるものでもない。
 一度、瞳を閉じ、深呼吸をして、両手にある教本を強く抱いた。
「おはよう、カイゼル、ライゼル」
 その瞬間、部屋の中で睨み合っていた二人の少年が彼女の存在に気づいて、にこやかな笑顔を浮かべた。
「おはようございます、リアフィ先生」
 綺麗な二重奏が響く。
 その瞬間、二人の少年は鋭く互いを睨み付けた。
 全く同じ容貌で、同じ表情の二人はまるで鏡に映したような双子だった。
 本当によく似ているのだ。
 容姿だけでなく、性格も思考回路も。
 リアフィがこの双子の家庭教師を引き受けたのは三ヶ月前のことだ。
 最初、対面した時、ただ純粋に驚いた。
 柔らかそうな栗色の髪に、翡翠の瞳。幼い子ども特有の丸みのある顔の輪郭は将来成長すればさぞかし美麗な青年になるであろうと感じさせる。
 その整った容貌が二つ、ぴったり寄りそうに立っていたことに。
 双子はとても頭が良かった。
 一度教えたことは決して忘れない。
 本当は家庭教師なんて必要ないんじゃないかと思うくらいに。
 教壇として置かれた机の前に立ち、リアフィは気を取り直した。
「……今日は先週の続きで、魔法史をします」
 リアフィの事務的な言葉に、双子は我に返った。
「はい」
 そして、双子は席に着いた――左右遠く離れた机に。
「……」
 異様だ。
 リアフィは内心溜め息を吐いた。
 どんなに仲の良い兄弟とてケンカの一つや二つするものだろう。しかし、この双子に限り、ケンカというものは存在しないものだと思っていたのだ。
 それはもう彼らは仲が良く。
 恐ろしいほどの連携で、人を困らせることだって多々ある。
 もっぱら、その被害は彼女だったりする訳で。
 ケンカの影響が自らに及ぶ前に決められた時間が過ぎるのをリアフィは願った。
「では、三十頁から」
 魔法史の教本に視線を落とし、リアフィは朗々と説明を始めた。
 次の瞬間。
「……踊る旋風よ、小さき使者となれ」
「……雫の娘よ、我が戦乙女となれ」
 囁くような呪文が飛び交い、部屋の空気が乱れる感覚がした。
「――」
 視線を上げると、双子は教本に視線を落としていた。
 しかし、リアフィもそれなりの魔術師だ。
 二人の周囲に漂う魔力の残滓で何が行なわれたか察することができた。
 その上、右に座るカイゼルの髪がわずかに湿り気を帯びて、重みを増しているし、左に座るライゼルはというと机の上の文房具が散乱している。
 些細な悪戯。
 目を瞑るべきか否か。
 数瞬悩み、リアフィは、一度目は見逃すことにする。
 先年卒業した魔法学院でも授業中の悪戯はあったが、学院の教師は黙認していた。
 魔法を他者に気取られないように構築するにはうってつけなのだと言う。
 確かに、悪戯に過ぎないのだから、被害は大したものではないし、される方も心得ている。
 リアフィは再び視線を教本に落とし、授業を続け始める。
 それと同時に、悪戯もまた再開される。
 しかし、リアフィは忘れていた。
 悪戯をしているのが限度を知らない子どもであること、そして二人が聡明で彼女が考えている以上の魔法の使い手になっていることだった。
「獅子の咆哮よ」
「竜の軌跡よ」
(攻撃魔法!?)
 咄嗟に、顔を上げ、リアフィは自らも魔法を構築していた。
「静寂の帳よ、支配せよ!」
 後から唱えたにも関わらず、リアフィの魔法は双子のそれより素早く、的確に発動した。
 魔法を完成させる最後の一音が掻き消され、集束していた力が霧散する。
 驚いて茫然としていた双子はリアフィが教本を閉じる音に我に返った。そして、恐る恐る窺うように顔を向けた。
 リアフィはニッコリと微笑みかけた。
「せ、先生……?」
 動揺して零れる言葉も二重奏。
「そんなに実戦魔法を使いたい?」
 ニコニコと笑みを張り付かせ、リアフィは小首を傾げた。
 童顔のリアフィは怒ったところで、さほど迫力がない。しかし、代わりに、微笑んでやると怒る時より相手が怯えることを彼女は知っていた。
 リアフィの小柄な体から放たれる気迫に双子は動揺した。
「えと」
「いや」
「その」
「あの」
 双子はしどろもどろになり、そして互いを見やる。
「ごめんなさい」
 素直に謝る双子に、リアフィは顎を引いた。
「分かれば宜しい」
 そのとたん、リアフィは肩から力を抜いて言葉を続けた。
「で、ケンカの原因は何?」
「犬」
「猫」
「……え?」
 戸惑うリアフィとは対照的に双子は揃って、前に進み出る。
「先生」
 ケンカをしていても綺麗に声が揃うのは双子ゆえか。
「犬か」
「猫か」
「結婚したら、先生はどちらを飼いたいですか?」
 真剣に尋ねてくる双子に、リアフィは思わず身を退いた。
「犬……? 猫……?」
 それが原因か。
 一気に脱力して、座り込みそうになるのをリアフィは必死で堪えた。
 どうせ些細なことだろうとは思っていた。
 思っていたが。
(下らない……)
 果てしなく、どうでもいいことが原因だった。
(それで、どうして攻撃魔法まで使うのかしら……)
 どこかで育て方を誤ったか。
 当然のことだが、リアフィが二人を育てている訳ではない。
「先生!?」
 『どっちでもいいじゃない』と投げやりに答えたくなるのを堪え、リアフィは言葉を探した。
「……えぇと、カイゼルは犬が良くて、ライゼルは猫が良いのね?」
 二人が頷くのを確かめて、リアフィは続けた。
「では、訊くけれど、カイゼルは猫が嫌いなの?」
「別に嫌いじゃないです」
「ライゼルは犬が嫌い?」
「別に嫌いじゃないです」
 リアフィは安堵して微笑みかけた。
「なら、問題はないでしょう」
 きょとんと瞬く双子にリアフィはくすくすと笑った。
「カイゼルは犬を飼って、ライゼルは猫を飼う。貴方たちにはまだ早いと思うけれど、結婚後の話なら問題は貴方たちの相手となる女性の方だと思うけれど」
 その瞬間、双子は並々ならぬ迫力で告げた。
「だから、先生に訊いているんです!!」



「……………………………………ハイ?」



 たっぷり数十秒置いてから、リアフィは聞き返した。
(どうして、『だから』で、『私』……?)
 茫然となって立ち尽くすリアフィを見て、双子は妙に大人びた仕草で溜め息を吐いた。
「ねえ、カイゼル、もしかして先生分かってなかったのかな?」
「う〜ん、それはちょっと哀しいよね」
「うん、哀しいね」
「ライゼル、ここは改めて言って置こうか」
「そうだね、先生にはちゃんと現状を把握してもらわなきゃ」
 仲良く相談する双子の会話に、不穏なものを感じ取り、リアフィは本能的に後ずさった。
「あのね、先生?」
 カイゼルはにこりと微笑みかけた。しかし、その翡翠の瞳が笑っていないように感じるのはリアフィの気のせいだろうか。
「な、何かしら?」
 いつの間にか回り込んでいたライゼルがリアフィの退路を塞いで、真剣な顔で見上げてくる。
「僕たち、最初に言ったと思うんだけど」
「え?」
「先生、忘れちゃった?」
 ライゼルに気を取られているうちに、カイゼルは反対側からリアフィの逃げ道を塞ぐ。
「ッ!」
 前方に机、左右に双子。
 男女の性差があるとはいえ、リアフィの方が年上だ。押し退けることは容易い。だが、何故か、それが出来ない。
 それを封じるだけの気迫が双子にあった。
 ぴったりと壁に張り付き、リアフィは間違いなく自分が窮地に立たされていることを理解した――その理由は分からなくても。
「あ、あの? ふ、二人とも?」
 ひしひしと押し寄せてくる危機感に、リアフィは焦りを覚えた。すでに半泣き状態である。
 そんなリアフィの動揺を知ってか知らずか――否、知っているに違いない――双子はニッコリと天使のような笑顔を浮かべた。
 そして、おもむろにリアフィの左右の手を片方ずつ掴むと同時に告げた。


「僕たちと結婚して下さい」


 その瞬間、リアフィの思考は完全に停止した。
 壁に張り付いたまま、硬直してしまったリアフィを見て、双子は更に衝撃的な言葉を放つ。
「先生は『いいわよ』って返事をくれたんだよね〜」
「ねー? 確かに言ったよね〜」
(…………言った)
 確かに言った覚えはある。
(だけど、それは『子ども』の話に付き合っただけで……ッ!)
 だが、今更この双子に通用するとは思えない。
「あああああああのね!? ちょっーと冷静に考えましょう!?」
「先生こそ冷静になれば?」
「僕たちは冷静だよね」
 くすくすと笑いながら双子は手を放さないまま、空いている手でリアフィの髪を弄び始める。
「――ッ!?」
(ちょっと待ってええええええええええええ)
 内心、絶叫しながらも、それは音にはならず、リアフィは引きつった笑みを辛うじて浮かべた。
「えと、もしかして、私をからかっているの……?」
 双子は薄く笑った。
「ねえ、先生?」
「僕たちは本気だよ?」
「で、でもッ、せ、先生は年上だし!?」
 無意識のうちに、自らの立場を強調するリアフィ。
 しかし。
「年の差なんて愛があれば大丈夫」
 綺麗に揃った双子の言葉に、リアフィは言葉を失う。
「それに、先生、年より若く見えるし」
「僕たちは成長期だし」
「十年経ったら全然平気だよね〜」
 リアフィはこの瞬間自分の童顔を恨んだ。
 だが、ここで引き下がっては終わりだ。
「で、でもッ、二人同時に結婚は無理だし!?」
「そんなの僕たちだったら、どうにかなるよ」
(なるかッ!!)
 しかし、リアフィの心の叫びは声にならなかった。
 所詮、子どもの戯言だ。そう思って笑いながら受け流せばいいのかもしれない。
 しかし、それができない。
 目の前の双子ならば、もしかするとやってしまうかもしれないと思うからだ。
 受け流しておいて、後で『本当』だったら逃げ場がない。
「ねえ、先生は猫か犬どっちが好き?」
「ッ!」
 究極の選択だった。




 リアフィ・ディム――魔法学院首席卒業。第一王位継承者カイゼル・アーヴィル、ライゼル・セーヴィルの専任魔法教師。
 もう一つ、肩書きが増えるかどうかは神のみぞ知る。







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